#どこ?
どこ?ここ?
キッチンに立っていると、ツンツン足元を犬がつついて、ご飯の催促。
食欲旺盛で気難しい、十五歳のお婆さん犬だ。
病気で失明して耳もダメになり、ヘレン・ケラーさんみたいになったけれど、トイレは頑張って自力で出来るし、散歩だって行く。
気配と嗅覚で、ちゃんと私の居場所を探し当てるのだ。
ここにいるの分かった?すごいねぇ、偉いねぇ、と撫で撫ですると、ゆっくり尻尾を左右に振る。
でもね、ご飯の時間はまだなんだよー。
人生(犬生?)ちょっとハードモードだけど、お互いまだまだ頑張ろうね。
#大好き
息子が幼い頃、毎日何度も「大好き~」と抱っこしていた。
すると息子は「僕も大好き!」と可愛い声で言ってくれたものだ。
小学生になると抱っこはやめたが、毎朝「行ってらっしゃい、大好きやで!」と声をかけ、息子は「僕もー」と応えて、それが挨拶の一つみたいになっていた。
高学年になるまで続いただろうか。
さて先日、帰省してリビングでスマホを見ている息子(大人)に、ふと思いつき
「おはよう、大好きやで!」
と言ってみた。
どんなリアクションがくるかほくそ笑んでいたら、息子はスマホから目も離さず「おはよ。俺も」と上の空で言った。
エッ、反射的…?
呆然と後ろめたい気持ちになり、私はこそこそその場を離れた。
刷り込みってあるのだなあ。
#花の香りと共に
同僚のエリカはいつもバラの香りを纏っている。
フレグランスはもちろん、ローズオイルのサプリを飲んでいるので、吐息すらほんのりバラの匂いがする。
「バラの香りって、リラックスとかストレス軽減とか自律神経を整えたりとか、色んな効果があるんだよー」
そう言って、青白い肌に分厚く日焼け止めを塗っている。
実家から送られて来るという、特製トマトジュースでヘム鉄サプリを流し込み
「トマトジュースは肌に良いから母が手作りしてて。あっ、今度実家へ遊びに来ない?」
薄く覗いた二本の八重歯を眺め、私は内心嘘くさい…と感じている。
彼女って絶対、ヴァンパイアだと思うのだ。
#君を探して
テーブルの上にお手紙が。
濃い鉛筆の字で「テレビ」と書いてあり、はて?とテレビの裏側を覗いたら、折り紙で作った手裏剣が落ちていた。
手裏剣に「れいぞうこ」の文字がある。
キッチンへ行って、冷蔵庫の引き出しを下から順に開けてゆくと、野菜室の中に折り紙のパタパタ鳥がいた。
今度は「かがみ」と書かれている。
鏡、鏡…と寝室へ行くと、ドレッサーの上に「ママおめでとう」のカードと、赤い折り紙で作ったバラの花を見つけた。
ドアの陰に隠れてわくわく覗いている小さな犯人を、引っ張り出してぎゅうっと捕まえる。
私の、人生で一番嬉しかった誕生日のお話。
#落ちてゆく
長ーい上り坂を一生懸命登っていたつもりだったのに、いつの間に下り坂になっていたんだろう?
ピークって、いつ過ぎたっけ?
山登りの話ではなく、人生のことである。
高校時代の友人たちと、久しぶりにランチをした。
なかなか全員顔を揃えるのは難しくて、実に十年ぶりだ。
前に会った時は四十代、終わりかけた子育てのことや、仕事のこと、美容の話で盛り上がったが、今回は違った。
“人生の黄昏時”に差し掛かったことを、皆ひしひしと感じていて、話題は衰えた体力と能力、思わしくない体調、老後の不安ばかりである。
あんなに若かったのに、青春を過ごしていたのに、坂道を転がり落ちるように、私たちは知らぬ間に老いている。
愚痴とも自虐ともつかず、苦笑混じりで話していたら、隣の席に四人組の高齢女性が座った。
ハイキング帰りのようなカジュアルな服装だが、全員かなりの高齢である。
彼女たちは注文したカレーをもりもりと食べ、その会話がこちらのテーブルまで届いた。
「生きてるって、楽しいわねぇ!」
「そうそう、ほんとにねぇ!」
私たちはハッと顔を見合わせて、黙り込んだ。