これまでずっと
誰かに 何かに 憧れて生きてきた気がする
自分は自分と思える確固たるものが
私には見当たらないから
そんなことを思いながら ここまできてしまった
最近は そこをひっくるめて
それが自分なんだなーと思うようになってる
そことかこことかそれとか、ずいぶん
まどろっこしい表現になったけど
つまり
何者でもない自分でいいじゃないかと、
思うことになったのである。
101:これまでずっと
LINE の未読や既読 に心を乱されてきた
もやもや そわそわ 落ち着かない
メールだって 返信の有無は気になるものだけど、
送信すれば、一旦は自分の手を離れて
一応の完結をみせる
でもLINE の場合は そうはいかない
送信したあとも LINE に気持ちが繋がれたまま
常に引っ張られている感覚があった
できるだけ、私の生活が邪魔されないよう
その都度 非表示にすることで
平穏を死守していたつもり
グループLINEもそう 。
返信のタイミング、返信内容など
ささいなことでも気を遣うこと甚だしい
今はLINE の呪縛からだいぶ離れたとこにいる
既読にする謎のプレッシャーも薄れつつある
1件のLINE が与える重みは人それぞれ
私の場合 便利なツールとは
“ほどよいおつきあい”がいいみたい。
100:1件のLINE
目が覚めると
外はまだ暗くて 朝が来る気配はない
もう一寝入りできるとわかった 午前3時
少し得した気持ちで、暖かな布団に入り直した
次また目覚めるときまで、しばしのおやすみ...Zzz
99:目が覚めると
“歯ブラシはやわらかめ”
“目玉焼きは醤油”
“年越しはゆく年くる年”
当たり前というか これは自分のこだわり??
でも “当たり前” もきっと同じようなもので
自分に染みついた当たり前って
みんなの当たり前ではないし
自分の当たり前があるように
人にも人の当たり前が存在する
そんな当たり前に 改めて気づかされている。
98:私の当たり前
日没が近づくにつれて、
マンションや家々に灯りがともりはじめ、
お店の看板も輝きだす
電車の窓から見慣れた街の明かりがみえると
どこかホッとする
見える景色は同じでも
冬の明かりは、あたたかく包みこむようで
夏の明かりは、ほんの少し気分を上げてくれる
街の明かりの数だけ
幸せの明かりも灯っていきますように
97:街の明かり