LINE の未読や既読 に心を乱されてきた
もやもや そわそわ 落ち着かない
メールだって 返信の有無は気になるものだけど、
送信すれば、一旦は自分の手を離れて
一応の完結をみせる
でもLINE の場合は そうはいかない
送信したあとも LINE に気持ちが繋がれたまま
常に引っ張られている感覚があった
できるだけ、私の生活が邪魔されないよう
その都度 非表示にすることで
平穏を死守していたつもり
グループLINEもそう 。
返信のタイミング、返信内容など
ささいなことでも気を遣うこと甚だしい
今はLINE の呪縛からだいぶ離れたとこにいる
既読にする謎のプレッシャーも薄れつつある
1件のLINE が与える重みは人それぞれ
私の場合 便利なツールとは
“ほどよいおつきあい”がいいみたい。
100:1件のLINE
目が覚めると
外はまだ暗くて 朝が来る気配はない
もう一寝入りできるとわかった 午前3時
少し得した気持ちで、暖かな布団に入り直した
次また目覚めるときまで、しばしのおやすみ...Zzz
99:目が覚めると
“歯ブラシはやわらかめ”
“目玉焼きは醤油”
“年越しはゆく年くる年”
当たり前というか これは自分のこだわり??
でも “当たり前” もきっと同じようなもので
自分に染みついた当たり前って
みんなの当たり前ではないし
自分の当たり前があるように
人にも人の当たり前が存在する
そんな当たり前に 改めて気づかされている。
98:私の当たり前
日没が近づくにつれて、
マンションや家々に灯りがともりはじめ、
お店の看板も輝きだす
電車の窓から見慣れた街の明かりがみえると
どこかホッとする
見える景色は同じでも
冬の明かりは、あたたかく包みこむようで
夏の明かりは、ほんの少し気分を上げてくれる
街の明かりの数だけ
幸せの明かりも灯っていきますように
97:街の明かり
小学生の時、七夕には
祖父が裏庭から笹をとってきて、短冊を書いていた
正直、短冊の願いが叶うかどうかは二の次で、
笹の葉飾りを作って結びつけるのが楽しかった
四季の催しを大切にしていた祖父のおかげで
自然と行事に親しむ習慣があり
貴重な体験ができていたんだなとありがたく思う。
昔話に思いをめぐらせてたら、
ニュースで、今日天の川が見られるという地域に
入っていることを知り、ベランダに出てみた。
残念。街頭の灯りが思いのほか明るくて厳しそう。
ただ、晴れてる七夕の夜は珍しいね
織姫と彦星の再会を祝して、私は麦茶で乾杯
96:七夕