今日という1日も
一年の中でみれば、おそらくほんの一瞬で
今年という1年も
生まれてから死ぬまでとみれば、光陰矢のごとし
人生100年と仮定すれば
人の一生さえも
長い歴史のなかのたった一世紀に過ぎない
出口の見えない道中では
永遠のように感じるこの感覚さえも
すべてはきっと 刹那的
26:刹那
この世での学びがあるとか
はたまた、前世からの因果とか
生きることへの問いはいつの世もつきまとう。
なんでこんな思いをしなくてはならないのって
生きる辛さを感じる時に、
生きる意味にまで思考を巡らす余裕はないの。
たとえ意味が分かったところで、
この辛さが軽くなるわけでも無くなるわけでも
ないでしょうに。
だから、あえて意味を考えることはしないけども
なんとなく ここまで生きてきて 思うには
これが “生かされてる” ってことかもしれない
人生の終わりに何を思うかは分からないけど
今はそんなことを感じてる
25:生きる意味
善悪の基準って何だろう?
他人の行いには厳しいのに
自分は許されると思うこと
自分に直接関係のないことであれば無関心
自分が当事者となった途端に大騒ぎ
じつにブレやすい善悪である。
世の道理を自分の物差しだけではかることはできないけど
せめて、自分の中の善悪は一定でありたいなと思う
綺麗事かもしれないけどね。
24:善悪
流れ星に願い事を、、、の前に
そもそも流れ星をみたことがあったっけ?と
遠い記憶を探りにいってみた
しし座流星群
だったと思う
やたらテレビで
盛り上がってた
庭にシートかなにかをひいて
ただただ空を見上げてた
普通ならまだ寝ている時間
いつもなら触れることのない
外気が異様に感じられた
庭の木々まで怖いくらいに沈黙を保ってた
とここで。
肝心な流れ星はどうだったか
、、正直なところ記憶はあいまい。
願い事にいたってはまるで記憶になし。
幼いながらに、背徳感にも似た気持ちをかかえて、
来てはいけない世界に迷い込んでしまったような、
流れ星よりも鮮明に焼きついた独特な空気感。
願いをとどけるより
特別な時間だったのかも
流れ星への願い事はまた改めて。
23:流れ星に願いを
社会秩序、会社、学校、家庭
この世にはあらゆるルールが存在するけど
知らず知らず、ひとつふたつと増えていって
いちいち数えたわけではないけど
それなりの数になってきている
自分ルールみたいなものも存在する
ルールがあるから動きやすいこともあるし
ルールに縛られて煩わしさを感じることもある
「それって本当に必要?」
たまにはルールそのものを疑ってみるのもいい
新しいものの見え方にであうかもしれないから
ほどよく、柔軟に。
22:ルール