平穏な日常
東日本大震災。
今年で13年。ふと思うと、今日まで、いろいろとありすぎた。
当時は仙台市内に住んでいた。
義父がその一ヶ月前に亡くなり、義母が転倒し入院。
骨折&肺癌が見つかり検査当日であった。
娘は学校、相方は仕事。私は義母の病院へ行く途中だった。
突然の揺れ。今までに無い恐怖を感じた。
避難生活。小学校体育館に近隣住民が押し寄せ、横になる場所の確保も出来ず、座ったままの状態で、真っ暗の中、肩を寄せ合い過ごしていた。
3月末に引越し予定だったが、引越し業者も被災したため、4月下旬に延期。生活が不安定だった。
なんとか引越しを終え、新しい職場、学校、義母の入退院・通院、同居が始まった。
相方は鬱病を発症、娘はイジメによる不登校、義母の認知症のため、会社を退職し、パート生活となった。
自分自身も壊れそうだったが、そうは言っていられな、い。踏ん張りどころであった。
数年後、義母が亡くなり、つづいて相方が心筋梗塞で亡くなった。
娘の不登校は続いていたが、なんとか定時制の進学が決まった。
家族が減り、実家近くに引越し。
今度は、私の父に病気が見つかり、入院介護。母の骨粗鬆症によるせぼねの圧迫骨折。こちらも介護となる。
パートも新たに、中々の目まぐるしい日々が続いている。
自分自身の時間が設けられず、泣いてしまう日々もあるが、いままでと変わらない日々を過ごすであろう。
3・11を迎え、日常を振り返る。
これが私の平穏な日常である。
過ぎ去った日々
娘と2人暮らし。
相方は10年前になくなった。心不全だった。
当時、相方は人間関係でいろいろとあり、病んでいた。
家庭内別居。朝起きて返事が無く、様子を見たら眠ったままの姿で冷たくなっていた。
その日から数日の記憶が曖昧である。
その頃、相方は娘とも折り合いが悪かった。
今、娘は病んでいる。
当時の相方との関係、その他関わった人との拗らせからトラウマなのか生きるのが辛いらしい。
精神科医にお世話になっているが薬が強いモノのなってきている。
10年、ワンオペの子育て。生活の為に働くが、娘の様子を伺いながらのため、パートでやってきた。自分が歳を取ってきたのか、身体が思うように動けない。ひとつパートを辞めた。収入が3分の1になった。
そして今晩、娘が夜中突然、家を飛び出した。パニックになったみたい。泣きながら裸足のまま。慌てて追いかけた。見つけた。寒空の中、説得し連れ帰る。
いままで娘に「あなたが大事」「大好き」「味方だから」「死んではだめ」と言い続けてきた。
いままでやってきた事は間違いだったのだろうか。
これからどう過ごせば良いのか。
毎日、自分自身に問いかける。
過去は変えられない。
お金より大事な物
っていうけど、それは時と場合による。
お金が無ければ、気持ちに余裕が無くなる。
だって今の私がそうだもの。
大事な物はたくさんある。
家族、友人、知人、身体、生活、知識、思いやり、平和、其の他もろもろ・・・。
お金が無くても大事には出来る。大切にできる。
ただ、生きていくにはどうしてもお金は必要。
難しい。
人は欲求がある。だから考える。どうしたら欲求が満たされるのか。どこを妥協すれば上手くいくのか。
これからもたくさん考え、計画、行動をしていこうと思う。
幸せになりたいからだ。
月夜
今晩、雨。
すっきりとした星空・月を見たい。
今は3月。寒いよね。
絆
久しぶりの友人とのランチ。
今日の相手は、少し前に退職した女性。
いつも仕事中、私を気遣ってくれていた彼女。
歳は一回りも下だけど、なんでも言える人。
先日、体調を理由に私も退職した。
ランチの話題は、近況報告・上司の愚痴・これからの事。
仕事で知り合い、大人に成ってからの友人は貴重である。
今後も仲良くしてね。