私の過去 ” 私の生い立ち ”
親がいない とか 不登校だった とか 中卒 とか いじめ とか
よく話をすると私に同情し哀れむ人がいる。
私は哀れみの心がよく分からない
だって私は物心ついた時から親は居ないのが普通だったしでもその分周りには支えてくれる友達や祖母がいた。
転校しいじめられ不登校になり中卒でもずっと傍に居てくれる心友とも出会え
誰が私のそばに居てくれて誰が私の傍に居てくれないのかそれを見分ける事ができた。
中卒でも家の家業があり夢もあり手を差し出してくれる人がいる
それが私の普通の人生でなんなら恵まれていると思っている。
同情されるから自分を哀れに思った事もあった。
だからこそ言いたい 同情されるから哀れみを覚えるんだよ。
その人に同情したってその人はそれが普通なんだから勝手に哀れな主人公みたいに語るなよ。
自分の人生の普通とか当たり前は自分で決めるし自分しか分からないものだと思う
己の定規で人を図るな。って言ってやりたい笑
私は私を幸せにする方法を知っているし誇れるくらい幸せだとも思ってる。
同情され哀れだと語られたとしても負けずに言ってやれ
これが私の人生で貴方に私の人生を哀れむ資格なんてない ” と
ありのままのあなたの人生に誇りを持って強く舞い上がればいい
『枯葉』
私は秋の木が好きだ
並木に紅葉やイチョウがあって綺麗だなと思う。
桜は儚く、散ってしまうのか…と哀しくなるけど
秋はこれからのために準備して風にも負けない強さが見てると心に力が湧く
ある日祖母が言った秋の葉は枯れてるんだよって言葉に凄く驚いた
どうして枯れているのか分からなかった
紅葉はとても綺麗でそのうえ強い そんな葉が枯れているなんて…
私が秋を好きになったのは心の病気になった頃であの時の私は枯れていた。
だからなのかすごく強い秋の葉が桜の儚さよりも素敵に見えた
私は今でも秋の紅葉が好きだ 寒さにも風にも負けず導いてくれる
そんな葉がとても好きだ
私も秋の葉みたいに強く負けずに精一杯 生き足掻いてみたい。
今日にさよなら
朝目が覚めるとまだ眠くてふと思う ”このままずっと寝てたい”
この季節は雪の除雪車が昼も夜も騒がしく動いている
二度寝から覚めて顔を洗う
最近は乾燥が酷いから念入りに保湿や美容液を塗る
キッチンのストーブに電源を入れ
朝ごはんの前に豆乳を飲む 食べる準備してご飯を食べる
部屋に戻って最近ハマっている韓国ドラマ
「ある日私の家の玄関に滅亡が入ってきた」を観る
フィクションやSF系で恋愛もあり人間関係も詰まっている作品で
小説の編集者として働いていてそういう所も面白かった。
でも私が韓ドラで一番 魅了されたのは「わかっていても」だった。
字を書いたり小説を書く人はこのストーリー性を気に入ると思う
見終わる頃にはもう夕方で夜ご飯を食べる
そしてゆっくり30分くらい入浴して寝る準備をする
楽しみにしてたYouTubeを沢山見て笑って
私は通話が好きなので通話を少しして
部屋の電気を消し よく眠れる音楽を流して 眠りにつく。
本当に休日って最高だなって思う この時間も大切で宝物
今日もこうやって生きていられてよかった
明日からの自分は今日よりも元気で過ごせるはず。
じゃあおやすみ
_ 自分の親 自分の子供 。
自分の大切な親が病気になってしまったら
看病するのは当然だと思う
自分の大切な子供が病気になってしまったら
看病するのが当然だと思う
自分を手懸けてくれた人 で 自分が手懸けた人だもの。きっとそう
ならそれ以外にはどうする?
例えば両親が居ない人を私が面倒みると言ったものの本当に自分が大切な親や子供が大変な思いをしていたらそっちを優先する。
それは本能だから仕方ない
人間という生き物なら親や子に無上の愛が存在する
じゃあ一体それがない私はどうしたらいいのだろう。
愛してほしい親は遥か遠くで見る事もできない
誰かの子供として生きたくても他はそれぞれの親子がある
そこに入る事はできないし人生で一度も入ったことがない。
誰よりも優先するのも誰よりも優先されるのも
この世に生まれてから私は一度もない
誰かの"誰よりも"が欲しいと思って生きてきて貰えると思った。
今 周りを見れば見るほどみんな誰よりも大切な人が居て
誰よりもその人を必死で想っている
それを横目に見て実感しながら毎日私は何処へ行けばいいのだろう。と考える
私は虚しさと孤独さとその全ての感情を何処へ持っていけばいいのだろう。
誰かの1番になるなんて望んでない。でも私はこの心がボロボロ崩れて今にも壊れそうになっているこれを何処へやればいい…
笑顔も段々疲れてきた。気づかない振りも疲れた。
大丈夫も元気も何も考えないのも疲れてしまったよ
毎日少しづつすり減っていく心が見える中で私はどうしたらいい…
願えるのなら 私 誰かの"誰よりも"になりたい。
『 10年後の私から届いた手紙 』
私はよく手紙を書く。それは今の私から過去の私への手紙だ。
未来の私宛に手紙を書くことはよくあると思う
過去に書いたって過去の私はもう今の私の1部なのだから…
それでも私の過去は淡々と過ごすには重かった
今の私だったら大丈夫かも知れないがその頃の私は幼すぎた。
みんなそれぞれに苦労はあるだろう。だから私だけとは思わない
でも今の私から見た過去の私はとても痛々しく切ない幼子だった
今の私はとても華やかな世界に居て恵まれていると思う。
だからこそ過去の私はそれをどう思うだろうとよく考えた
それを機に過去に手紙を毎年書くようになった。
" 私は今とても幸せだ 周りにも人が居て 夢もある
華やかに着飾り とても笑顔が溢れる生活をしている "
「 これは全て過去の私のお陰だ 」
苦難を乗り越え 泣く夜を幾つも越え 計り知れない程 悩み 藻掻き
その努力と涙と根気と痛みと孤独 全てが今の私を導いてくれた。
どうお礼も出来ない
それでも私は過去の私ために存在し未来の私のために存在する
私は私を精一杯愛すし私は私を精一杯思い続ける だから
過去の私には "ありがとう" それだけしか書く事ができない。
きっとこの先も100年経とうともこの気持ちは変わらず手紙には
" 過去の私へ
精一杯 私を愛し負けずに思い続けてくれて ありがとう "
そう書くだろう。
( ちなみに私の名前
fo me to love me _ 私が私を愛すために )