𖤣𖥧𖥣。力を込めて𖤣𖥧𖥣。
中学、高校と大ハマりした吹奏楽。
もはや10年近く楽器を触ることも吹くこともできていません。
あんなに楽器と触れ合うことが日常であったのに。
力をこめて誰かの心に響くよう演奏した音っていまはどこの誰の心にいますか?
もしかしたらもう誰の心にも残ってないかもしれません。
さみしいな。
いつかまた誰かの心に届けられるような演奏をしたいものです。
𖤣𖥧𖥣。過ぎた日を想う𖤣𖥧𖥣。
〝思う〟とも使うことができるのに
あえて〝想う〟と表現するなんてオシャレですね。
わたしは大切な人に対しては〝想う〟と表現するようにしています。
相手の〝相〟が漢字にはいっているから。
もうあの楽しいひと時は戻って来ないけど、
今日もわたしはあなたを想っています。
𖤣𖥧𖥣。衣替え𖤣𖥧𖥣。
半袖Tシャツと一緒に夏の思い出もしまっておくの。
ひと夏過ごした忘れられないあの人との思い出はそっとタンスの奥へ。
ニットやカーディガンを出してるときは肌寒い季節に新しい楽しい思い出が出来るようにって期待に胸が踊るの。
きっと私はあなたを忘れられないから、来年の衣替えのときはあなたを思い出して半袖を出しながら憂鬱な懐かしい気持ちになるんだわ。
𖤣𖥧𖥣。声が枯れるまで𖤣𖥧𖥣。
声が枯れるまで応援したり、声が枯れるまで歌ったり、
声が枯れるまで声を出すことが出来なかったあの3年。
私は高校時代をそんなコロナ禍で生きた。
運動会や競技大会は大きな声での応援は禁止。
「大きな声で応援しないでください。」のアナウンスがずっと流れていた。
卒業式に校歌を歌うことすらできない。退場前にお世話になった大好きな先生に、クラス全員で「ありがとうございました!」すら言うこともできない。
あぁなんてつまらない高校生活を送ったんだろう。
私はいまでも、
運動会でみんなの声援に隠れながら
大好きな人の名前を大声で呼んだり
文化祭で自分の模擬店への呼びこみを大きな声でしたり
卒業式で大好きだった担任に向けて「ありがとうございました!!」と大泣きしながら叫んだり
そんな光景を夢に見るんだ。
𖤣𖥧𖥣。始まりはいつも𖤣𖥧𖥣。
「やっほー」
大切な人の電話の始まりはいつも私からのやっほーで始まる。
いいことがあって気分ウキウキの日も「やっほー!」
落ち込んでネガティブの気分の日も「やっほ!」
貴方の声を聴きたくてソワソワ気分の日も「やっほ、」
大切な人がその日どんなに嫌なことがあって落ち込んで泣きたくなっていても、私の「やっほー」でホッとひと息つけますように。