今日も泣いてしまった。
適応障害と診断されてしまい、休職してもうすぐ1ヶ月が経とうとしている。
今までやれなかった料理を本格的に始めようと思い、
最近簡単なおかずを母の助けも借りながら自分で作り始めた。
今日は最初から自分で作る努力をした。
過去に2度ほど作ったことがあるフロランタンだ。
そこで私はアホなミスをした。
バターを計らずに加熱した鍋に入れるというアホなミスだ。
それを母に指摘されただけで、涙が止まらなかった。
母のことを怖いと一ミリも思ったことない。
ほぼ親友と言って良いほど何でも話すし、
大好きな存在だ。
なのに昔から、母から指摘されるたびに泣きそう、いや泣いてしまうことが大人になっても多々あった。
なるべくスルーして欲しかったが、
さすがに気になったのか、「私が言うとどうしてもだめだね」と言われてしまった。
母のせいじゃないと強く言うが、なかなか思うように言葉が出ない。
すると、母は自分の育児の仕方がもしかしたら間違っていたのではないか、と問い出した。
甘やかしすぎたのではないか。
もう少し怒れば良かったのか。
でも、
「(私の名前)ちゃんのおかげで、育児が楽しかったんだよ。別の性格だったら毎日喧嘩ばかりだったと思う」と涙ながらに話してくれた。
母が泣くところなんて久しぶりに見た。
愛犬が虹の橋を渡った時以来だ。
ここで私は自分に自信を持たなくちゃいけないのに、
母をそう思わせてしまった、その言葉を言わせてしまったという不甲斐なさの方が上回ってしまい、
自分のことが情けなくなってしまう。
はっきり言って、母が育児の仕方について問い始めた時点で、
わたしは自分の存在自体を許せなくなってしまいそうだった。
いくら適応障害とはいえ、
こんな思考回路を持ってしまった自分が無茶苦茶嫌になる。
自分のことを好きにならないといけないのに、
ますます自分のことが嫌いになる。
お母さん、
感謝してもしきれないよ。私周りから優しい、ってたくさん言われるのはお母さんのおかげだよ。
もちろんお父さんの性格も遺伝してるけど、
お母さんのおかげだよ。
ありがとう。
あの時もちゃんと言葉にして言えば良かった。
ありがとう。
必ずこのクソな思考回路を治して、自信を少しでも持てるようにするから。
待ってて。
さっき道を歩いていたら、
「すみません」と声をかけられた。
イヤホンをしていて早歩きで歩いていたから全然気づかなかったが、
目の前に立って呼び止められたので、めんどくさいと思いながらも、イヤホンを外して話を聞く。
すると、某不動産会社で働いているということで、
「女性が働きやすい会社を目指していて…」
などありきたりな事を言ってきた。
ひたすらどうやって話を終わらせようか頭をフル回転させていたら、
「ぜひ強い女性の意見を聞きたいので、3分ほど時間を宜しいでしょうか?」と来た。
そんな私は、この直前にメンタルクリニックで適応障害を治すため定期診察をしてきた帰り。
そんな私が、「強い女性」?
どこをみて強い女性と思ったのか。
ふざけんなと思うと同時に、不思議でならない。
やっぱり見かけで判断するんだな、浅はかだな。
自分以外に味方がいないような感覚。
自分以外の生物は全て敵だと思ってしまう感覚。
自分を一番信じないといけないのに、自分を信じられない感覚。
私は今まさに、海の底で彷徨っているような感覚で日々を過ごしている。
知っているはずなのに、知らない場所に放り投げられた様な感覚。
今私が苦しんでいる症状とはまさにこの事なのかもしれない。
「美しい」
この単語を見ると、ニーアオートマタのボーヴォワール思い出す。
好きな人のために「美しい」とか何なのかをいっぱい考えて、たくさん調べて、全部実行して。
それでも意中の人は一向に自分に振り向いてくれない。
そして気づいてしまう、そんな日は絶対に来ない。
辛いなぁ…