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5/20/2026, 1:37:53 PM

  理想の私 について(初執筆)

 私は趣味としてゲームやオリジナルキャラの制作をすることがあるが、主人公として制作するキャラというのはそれぞれの個性が出る部分だと思う。
 自分の考えた最強の人物()を設定する人から、とことんネタに振り切った設定にする人。自分の名前やあだ名をそのまま使う人、などなど。
 私に関しては使うものの世界観に合わせて名前を変えることはあるものの、その人物の内面はほとんど同じであることが多い。

  常に物事に対して真摯で誠実、

  自分の中にしっかりとした"芯"を持ち、

  偏見や差別意識のない見捨てる選択を取らない人。
  
それは20年にも満たない人生の中で経験してきた失敗や挫折を克服している自分の姿だ。


 
 さて、そんな私は大きな事件や挫折といったものはあんまり経験がない。
 あるのは「小さな失敗と諦めの積み重ね」。そういったもので私の人格は形成されていった。

 幼い頃から運動神経が悪かった。私の幼稚園は当時、かなり運動に力を入れていた為、何かあるたびにできる人との差を感じ、追いつくために無理をしては怪我をして迷惑をかけた。小学生などは特に身体を動かす所を人に見せる機会が多かった。動けない自分が嫌いになり、それは比較される場所、人前に立つことそのものを避けていくことに繋がっていった。

 発表の場というのは明確に人と比べられる所だ。自由に意見を述べる場も、正しいことなら評価は上がるが、頓珍漢な答えを出せば奇異の目で見られる。そのまるで異物を見るような目が怖くて、気付けば周りの意見を見てそれに合わせるといった行動が染み付いていた。

 私の姉は小学生からバレーボールをしていて、自然と私もそれに倣って2年生に男子バレーボールのクラブに入った。そこには当時5年生の学校全体でみても特にやんちゃな子が居て、何故かその子に目をつけられた。毎度練習の時間になればじゃれつきと称して腹パンや顔面へのスパイクをしてきた。キャプテンが注意しようと反抗するような有様だった彼がトラウマになり、一年でクラブを辞めた。それから人と関わる時に、少しでも彼に似た部分がある人を避けるようになった。

 思い入れのある小説に「精霊の守り人」というのがある。初めてそれを知ったのはテレビだったか。祖母が見ていたドラマが丁度それで、興味を持った私は図書館でシリーズを借りては小1、2には難しい漢字を読み解きながら、放課後に読むことを楽しみにしていた。
 面白いものがあれば共有したくなるのは人の性。
当然私も周りに広めようとした。
 返ってきた返答はつまらない。
 そうなるのもまぁ無理はない。まだマンガすら少し読むのに慣れてきた辺りの子が、ほとんど挿絵すらない難しい漢字だらけの本を楽しめるはずがない。私の場合は事前にドラマを見て内容をある程度知っていたからこそ読めたのであって、それが無ければ読もうともしなかっただろう。
今になって当然だと理解できるが、それが初めて人にものを勧める出来事だっただけに以降も何かを勧める際にはこの出来事が頭を過ぎる。


 

 といった風なことを通じて、私の人格は作られていった。

 人に見られることを極端に恐れて存在を薄め、

 失敗を恐れ挑戦をすることはなく、

 紛れるためには平気で嘘を吐き、

 表面上だけで他人を判断して、それと関わって不利になるなら距離を置く。

 他人に本性を指摘されたくないがために外面を取り繕う。

 そんな自分が私は嫌いで、だからこそ「フィクション」の世界では私は仮面を被る。



 いつしか仮面が素顔になってくれたらいいな、と思いながら。