いちさん(えいのーと)

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12/16/2024, 11:38:17 AM

風邪



ゲホゲホゲホ



お隣から咳が聞こえる。



今年の風邪は持ち回り制らしく、
誰かがゴホンとやり、その人が治る頃に
別の人がゴホンとなり、その度にコロナの疑いで緊張が走る。
幸い陽性になる人はおらず、
しかし入居者さんに風邪を移すわけにもいかないので
どうしても人手が足りなくなってきている。


うーん、どうしよう。


幸いなことに自分はまだ今回の風邪をひいていない。
今の状況で自分が風邪をひくと
職場がさらに逼迫し、無理をした人の免疫が下がり
風邪に感染し、さらに…という悪循環になりかねない。


お隣さんのことはよく知らない。
数日おきに女の子が通ってきて
ゴミを捨てたり何か話をして
帰っていくのは知っているが、それだけだ。

女の子のことも漏れてくる声しか知らない。
お隣さんの声は小さすぎて聞こえないため、
男か女かもわからなかった。
咳き込んでる音からすると女の人っぽいなあ、と
身支度をしながら考える。


うーん、どうしよう。

お隣さんのこと全く知らない。
コンビニのオーナーからは知らない人と話をするなと
割ときつめに言われている。


あなたの住んでるアパート、
どんな人が住んでるかよくわからないし、
変な人かもしれないから関わっちゃ駄目よ。


普段お世話になってるオーナーさんの忠告だし
ちゃんと聞いておきたい。



だけど。



先月のことだ。
夜勤明けだったのに、子供が熱を出して休みとなった
同僚の穴埋めをすることになり、
そのまま夕方まで仕事をすることになった。
その日は普段ご機嫌な入居者さんがなぜか風呂を嫌がり
別の入居者さんもご飯をいやいやして時間がかかり
とにかく疲れていた。


アパートに帰ってきて気が緩んだのか
階段前でうずくまってしまい、
このまま寝落ちしたら気持ちよさそうだと
誘惑に負けそうになっていたら声をかけられた。


見上げると知らない男の人だ。


無視しようかどうしようか迷っていたら、
俺、そこに住んでるんですけど、と
アパート一階の真ん中の部屋を指される。


上に住んでる人っすよね。
大丈夫すか?救急車呼びます?



どうも急病人と間違えられたようだ。
違うんです、ちょっと疲れて休んでただけです。
起き上がって階段を登ろうとしたら、
ちょっと待ってと呼び止められる。


男の人は自分の部屋の鍵を開け中に入ると
ビニル袋を持ってきた。


中にはみかんとカップうどん。


顔色悪いよ。
あまりもんで悪いけど、持ってけよ。
起きて腹減ってたらすぐ食えるよ。



お大事に。



そう言ってモノだけ渡すと
さっさと部屋に戻って行った。


鍵を開けたら再び鍵をかけるので限界だった。
風呂にも入らず、着替えもせずに
布団に潜り込んでぐうぐう寝た。
夜中に起きた時、みかんを食べた。
美味しい。
その時初めてとても空腹であると気がつき、
電気を付けてお湯を沸かし、
うどんを食べた。
身にしみる美味しさだった。



うーん、どうしよう。



あの時嬉しかった。
うどんもみかんも美味しかった。
下の部屋の人のことは全く知らないけど、
知らない人にも親切な人がいるとわかった。


出勤時間迄まだ少し時間がある。
悩んだ時は相談しよう。
部屋を出て、近所のコンビニに行く。
オーナーさんはいなかったけど、
顔見知りのバイトの外国人のお姉ちゃんがいて、
お隣さんが風邪引いてるけどどうしようと相談したら
オーナーを呼んでくれた。

オーナーは少し難しい顔をした後で、
コンビニの袋に風邪薬とのど飴、
ゼリー飲料とポカリを入れた。
あそこのアパートの人あんまりよく知らないのよ。
女の人の姿もほとんど見てないし。


顔合わせずに、袋をドアノブにかけるだけにしなさい。


顔は厳しいままだが、そう言って袋を渡してきた。
代金を支払おうとすると、
病気のお見舞いにお金とれないと笑った。
タダはまずい、何か買わなきゃと慌てて見回すと
レジの前にみかんがあった。


みかん。


自分用に、という名目でみかんを買った。
あと、メモも一枚もらって、ボールペンも借りた。


知らない人からもらうの嫌かもしれないし。


ガリガリと走り書きする。



今から戻って職場に行くとギリギリだ。
少し焦る。


オーナーにお礼を言って
慌ててアパートに戻る。
ドアをノックして袋をかける。時間がない。


パタパタと階段を降り、小走りで職場に向かった。


あの日のみかんは本当に美味しかった。
真夜中に食べた温かいうどんがとても助かった。



相手が袋の中身をどうするかはわからない。



そんなことは知らない。
だけど、あの時自分はとても助かって嬉しかった。



だから同じことをする。



職場には1分前に到着した。



汗だくだったが、気持ちは明るかった。





















12/15/2024, 10:32:47 AM

雪を待つ

※土日祝はお休み

12/14/2024, 11:40:53 AM

イルミネーション

※土日祝はお休み

12/13/2024, 2:36:26 PM

愛を注いで



愛ってやりたいように注いじゃ駄目なんだよね。
サボテンを眺めながらしみじみ思う。

先週水をやったので、来月くらいまでは水はやらなくて良い。


職場でサボテンを貰ったときスマホで調べた。
サボテンは土がカラカラに乾いて
さらにそこから数日経過した後で水やるくらいが
適切なんだそうだ。

鉢植えがあるからつい水をやってしまいたくなる、はアウト。
サボテンの都合を考えてやらないと腐る。


へー、とスマホを眺めながら感心し、
頭の中の霧が晴れるような気がした。
これ、人間も同じじゃね?と。



自分の両親は無制限の愛を子に注ぐ人たちだった。
自分ではなく兄に。
兄なんでも与えられた人だ。
服も、食事も、おやつも、お小遣いも、
欲しいと言えば欲しいだけ与えられ、
親が与えたいものもどんどん与えられ、
何をしても許され、何もしなくても許され、
いつでもあなたが正しい、
そこにいるだけで価値があると褒められていた。
兄にひたすら愛を注いでいた。



その結果どうなったかというと、
食べたいものを好きなだけ食べて太り、
勉強も運動もせず当然のように落ちこぼれ、
そして自分は悪くない、周りが悪いと言うようになり、
その姿を両親は全力で肯定していた。



対して自分はどうだったかというと、
お前はスペア。
お前には価値がない。
お前は頭が悪い。
お前は不細工でみっともない。
無駄飯食い。
金がかかる。
住まわせてやるだけありがたいと思え。


そう言い続け、その通りだと信じ切っていた。
それを両親の隣で聞いていた兄もうなづいていた。


だから祖父の介護を言いつけられた時従った。
だから大学へ進学もしなかった。
祖母も寝ついてしまった。
祖母の介護もお前がやれと言われ従った。
毎日毎日祖父母の介助を行い、食事を作り、
排泄物の片付けをして、夜中でも起こされて、
気に入らなければ殴られたり、唾を吐かれたり、
怒鳴られたりしていた。
何もない時は隣の部屋で待機していた。
何かをしようと思う気持ちもなかった。
家から出ることもなく、
衣類は兄の着古したものを着ていた。
毎日毎日同じことを繰り返していた。
同じことを何回繰り返したかわからない頃、
祖父が死んだ。
祖父が死んだら祖母は施設に送ることになった。



お前用済みだよ、出てけ。



兄に言われて今のアパートに連れて行かれた。
両親は見送りにも来なかった。
呆然としてふと手元に残った携帯の日付を見た。
今まで今が何年かも気にしていなかった。



年数を数える。数がうまく数えられない。
何度も数えなおす。
何度も繰り返し、ようやく高校を卒業してから
20年経っていることを理解した。

浦島太郎ってこんな気持ちなのかなあ…ぼんやり思った。




10日くらい部屋で動かずにぼんやりしていたが、
ぼんやりしてても腹が減るし、
腹が減ったら外に出てコンビニでパンを買い食べていた。
兄から握らされた金はそんなに多くない。
金がもうないことに気がつき、
こういう時はバイトするんだっけ、と思いつき、
コンビニの張り紙を見て即聞いてみた。
聞かれたことに答えていたら、
介護してたんならあっちの方が向いてるかもねえ、と
オーナーさんに言われて介護施設を紹介された。




介護職は楽だった。
キツいらしいが、祖父母に比べると断然大人しいし、
殴ったり噛みついたりする回数も少ない。
風呂に入れるのもベッドに寝かせるのも楽だし、
何より同じことをする人が複数いて分担できる。

同じ話題で話せるのが楽だった。嬉しかった。
喋りながら、自分が話しかけて返事をしてくれる人と
顔を合わせるのはどれくらいぶりだろうと考えていた。


そして何より、働いたら金が入ってきた。
小銭以上の金を好きに使えると気がついた時
仰天した。
何に使って良いのかわからないとオロオロして、
コンビニのオーナーさんに会いに行き、
かごいっぱいに弁当やおにぎりを詰め、
初めて給料貰ったから沢山買います!と宣言をした。
オーナーは笑っていた。
一気に買うな、
毎日決めた分だけ少しずつ使いなさいと叱られた。


そして一年。


がらんとしていた部屋の中は随分変わった。
窓辺にはサボテンがあり、
安物だが新品の服が増えた。
玄関には施設のレクで作られた人形が飾ってある。

携帯はスマホに変わった。
コンビニに行くと週一でオーナーが店番をしており、
身だしなみと健康状態のチェックを受け、
うちにばかり来ないでよそのお店にもいきなさいと
近所の惣菜店や定食屋を教えてもらった。
そして、爪はOK、耳掃除も忘れずに!と
笑った顔でやはり叱られる。
叱りはするけど怒鳴りはしなかった。
頭が悪いとか価値がないとも言われなかった。


叱られるのが心地よかった。


少しずつ自分のことを話した。
馬鹿にする人や目を合わせない人もいたが、
親切な人は親切だった。
コンビニのオーナーも、職場の人も沢山のことを教えてくれた。
20年を埋めるのはなかなか難しい。
段々自分に色が付いてきた気がする。


そして過去を振り返る。



自分の家族は、今接している人達と全く違う。
何が違うのか不思議で考えてみて、よくわからなかった。


サボテンを貰い、どうすれば良いのか検索をかけてみて
唐突に気が付いた。


職場の人は入居者さんの様子を見る。
気持ちに寄り添う。
どうすれば居心地良く過ごせるかを考える。
しかし、仕事としての線引きはする。
記録をつける。
ミーティングをする。
話し合うし声を掛け合う。


この人達はサボテンに水をやりすぎることもないし、
やらなさすぎることもない。



ああ、全く違う。
両親の手元にサボテンがあったら、
自分達のやりたいように水をやり、
やりたくないなら放置するだろう。
サボテンの都合などどうでも良いからだ。


自分は乾いたサボテンだった。


ふと兄のことを思い出す。
兄は水を貰いすぎて腐りはしなかったのだろうか。
兄のことは眺めているだけで、
一緒に何かをした記憶がない。


あそこから出て行けと言われたこと。



それだけを感謝して今日も仕事に出かけよう。







12/12/2024, 2:59:42 PM

心と心



ゲホゲホゲホ


咳が止まらない。
ヒュウヒュウと息をするたびに喉が鳴る。
困ったな。


古いアパートで天井を眺めながら
途方に暮れる。

はとこは昨日来たばかりだから、
あと2、3日は来ないだろう。


自分がこんな状態になってからどれくらい経つだろうか。
それって熱のこと?別のこと?
重い頭では浮かんだ疑問に答えることもできない。

代わりに昔の辛い記憶が蘇る。


この程度できる奴はどこにでもいる。
お前なんてここを辞めたらどこも雇わない。
お前、飯食う権利があると思ってんのか。
体調不良?その程度で休む気か!
お前が仕事しない損失を補填しろ。
あー、使えねえ。
給料泥棒。


どんどんどんどん蘇る。



咳き込むと頭に響く。

違う声が痛みに響くように湧いてくる。



あなたが生きてて喜ぶ人はいない。
みんなあなたを疎ましく思ってる。
周りから何言われてるのか知ってる?
ご両親も恥ずかしい思いしてるよ?
女が勉強なんてするからこうなるのよ。
いい気味、スカッとする〜。



これはどこまで実際に言われたことで、
どこまでがSNSでランダムに流れてきた言葉だろうか。
わからない、わからないまま時間が過ぎる。


ただの偶然だとわかっていても、ネットの罵倒が
自分に向けられた言葉のように感じてしまい、
でも目を離せなくてどんどん消耗してしまう。



体が動かない、頭も動かない、ただ寝てるだけの生活が
どのくらい過ぎたろう。
わからないしみっともない。
動けないのならそのまま何も口にしなければ
死んでいけるのに、水を飲んでる。
すぐに食べられる栄養補助食品を通販で頼んでいる。


生きる価値がないのに生きようとするなんて
浅ましいという自己嫌悪が後から後から湧いてくる。


涙を拭おうとして爪の先がピンク色になっている事に
気がついた。


天井ばっか見てるとしんどいよー。
少しでもかわいいもの見てよ。

はとこが昨日塗ってくれた。
塗った上にキラキラするラメやパールを付けてくれた。


ああ、そうだ。


親ですらここに置き去りにしたのに、
あの子は来てくれた。今も来てくれる。
まだ高校生なのに。
遊びも勉強もやりたい事沢山あって、
自分のことだけ考えていれば良い年頃なのに。


あの子が来るのは現実。自分で塗ったわけじゃない。
だって自分は不器用だ。
こんなに綺麗に爪を塗る事は出来ない。
塗った後にさらにラメやパールつけるなんて思いつかない。

私を思ってくれる人がいる。
心と心を通わそうとする人がいる。
忘れちゃ駄目だ。


布団の中で四つん這いになる。
周りを見る。
昨日はとこがゴミを捨ててくれたから
部屋の中は綺麗なものだ。

ガンガンする頭のまま部屋を這いずり
台所まで行き水を飲む。
風邪薬はない。
お腹に優しい食料もない。


まず、できることをしよう。

回らない頭で考える。
冷蔵庫には野菜ジュースが、入ってる。
それを持っていき布団に戻ろう。


冷蔵庫に目を向けた時、コンコン、とドアをノックする音がした。


続いてガサガサと何かをドアノブに引っ掛ける音と、
遠ざかり階段を降りる音。


なんだろう、とドアを開く。

掛けてあったビニル袋の中には
風邪薬とのど飴、それに数個のゼリー飲料とポカリ、
数個のみかん。そしてメモ帳の切れ端が入っていた。


隣の部屋の人間です。
仕事に行かなきゃ行けないので、
走り書きですみません、お大事に。



隣?隣って誰が住んでいたかしら?

全く知らない。


時計を見ると夕方だ。
この時間から仕事で出かけるということは
夜勤なのだろうか。

何かを考えると頭が痛い。
小さくビニール袋に頭を下げ、布団に戻る。


なんとなく、みかんを手に取った。


みかん。ずいぶん久しぶりに見た。
表面はひんやりしていて、少しざらざらしている。



お前に贅沢品を食べる資格なんてないよなあ?



誰かが頭の奥で怒鳴る。怖い。


みかんを畳の上に置き、風邪薬をポカリで流し込む。
本当は水の方が良いと思うが、
もう一度台所に行く気力がない。

飲んだところで気力が尽きた。


仰向けに布団に転がる。


チラリと爪が目に入る。


はとこの顔とメモ帳の切れ端が頭に浮かぶ。



ありがとう。



小さく呟き目を閉じた。




罵倒の声もない、何かから逃げることもない
深い眠りについたのは久しぶりのことだった。






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