#自転車に乗って
私は、小さい頃に自転車に乗るのが下手だった。
いつも転んで、怪我をして、泣いて、
それでも、人は上手くなるものだ。
私は、何十回練習したか分からないぐらいにひとりで乗れるようになった。
あの時の、喜びと風の心地良さと言ったら。
私は、いつも優しくて大きな父の手に支えらえながら自転車をこいでいたのが
今では、ひとりでどこへでも行ける歳になった。
私は、そんな思い出の詰まる自転車で向かう。
、、、、、、、、
「来たよ、お父さん」
私は、お父さんが眠るお墓の前に来た。
あの大きな、優しい手に触ることは出来ないけれど。
お父さんとの思い出の場所をこの「自転車に乗って」旅に出る。
「心の健康」
私は、この世界にうんざりしている。
いつも、当たり前に来る朝。
いつも、当たり前にある仕事。
いつも、当たり前にある人間関係。
いつも、当たり前に生きている。
そう思っていた。
私は、少しづつ病気のせいで体が動かなくなっていった。
昔の自分のように、仕事に行くことも人間関係も難しくっていった。
明日があるのかも分からない。
もしかしたら、もう体はとっくに限界を迎えているのかもしれない。
昔の私は、わかった気でいたのかもしれない、心の健康はどんなものか。
それは、人それぞれだ誰かが決めていいものでは無い。
誰かを推すことで得られる健康。
誰かを愛すことで得られる健康。
自分の好きなことで得られる健康。
自分に少し厳しい方が得られる健康。
そのほとんどは、悩み泣き諦めかけたことだろう。
わたしは、考えもしなかった。
でも、もう遅いかもしれない。
いや、
遅すぎた。
「みんなはどうですか?」
#君が奏でる音楽
僕はプロの音楽家だ。
自分で言うのもなんだけど、音楽の天才だ。
この国で僕のことを知らない人はまずいない。
神様に選ばれたのだろう。
それぐらいには、天才だ。
それでも、僕は唯一かなは無いものがいる。
それは、音楽のことをこれぽっちも知らないら、ピアノのドの部分も知らないような君だ。
君が奏でる音楽は、楽器はいらない。
君が、喋ると僕は自然と頬が緩んでしまう。
君が笑うと、自然とこっちまで笑えてくる。
全く困る。
困るはずなのに困っているのに、
もし君が喋れなくなったしまったら?
もし君が笑わなくなってしまったら?
そう考えてしまう自分の方が困る。
僕は、世界で認められているどの音楽家よりも、素人の君が奏でる音楽に惚れ込んでいる。困ったなぁ
「麦わら帽子」
少し日に焼けた肌の君。
顔には、そばかすの君。
ひまわりよりも笑う君。
太陽のように眩しい性格の君。
夏の空の下が似合う君。
全てが決まって愛おしい、僕は本当に君のそばで笑っていいのだろうか?
何度も問いかける。
君と付き合って初めて買ったプレゼント。
君にぴったりな麦わら帽子。
シワが増えて、会話をする頻度も下がって、けれどもやっぱり麦わらが似合うね。
「君に出会えて良かった。」
「終点」
この人生には線路と同じように終わりがある、つまり「死」だ。
「死」にもいくつかのものがあるだろう。
この世界について考え自ら命を絶つもの。
おもいがけない、事故に遭うもの。
病気に最後まで戦っていたもの。
など、この世には数えきれないほどにある。
私は、どんな死に方をするのだろうか。
時々、怖くなる。
それでも私は、あなたと人生の終点を一緒に過ごしたい。