「大丈夫」とか、「うまくいく」とか卒アルに書かれたけど、正直そんな気はしてこない。いつだって物事を不安に捉える私は、そんなハッピーエンドになる根拠の無い言葉が嫌いだった。
ある日、私達は卒業式の練習をしていた。クラスのいつもふざける男子と、騒がしい女子のお喋りが鼻につく。「卒業式なんて、どうせ来週やのに、先生達厳しすぎん?」「もう練習せんでも大丈夫やろ」「きっとうまくいくって」私は何も言わなかった。これだから嫌なのだ。いつも適当な奴らばかり。運動会も合唱コンクールも。私のクラスはぼろ負けだった。すると、担任の武田(たけだ)が、いかにもゴツい、漢!!って感じの先生が、私達に向かって怒鳴った。「お前らそれでいいんか。卒業式来週やぞ。喋っとって、いいんか!!」
いつもふざける男子も、こればっかりは仕方ない、と言った感じで、喋るのをやめた。私は、だるいなと思った。
今まで一生懸命頑張って来た自分一人が、馬鹿みたいになって、私は考えるのをやめた。
次の日、突然教室に、教頭が入ってきた。「武田先生が、昨日熱で倒れて、病院に搬送されました。」教室中が、不安の声で溢れかえった。「どうすんだよ」「武田、卒業式来れないの?」「学年主任の武田先生がいないなんて」私は不安でいっぱいになった。学年の他の先生がいるし、副担任の吉(よし)先生がいるから、練習は問題なくできるのだが、練習に1番気合いを入れていた武田がいないとなると、やはりやる気が出なくなる。この日は皆が元気を失っていた。武田がいなくて喜んでいる生徒もいたが、いざ練習になると武田がいる時と比べて元気がなかった。皆焦った。いつも上手くいっていたのに。このままではだめじゃないか。どうすれば、どうすれば、どうすれば………
気づけば私は、行動するのを始めていた。
「みんな、諦めずに、もう一度練習しよう。武田先生がいなくて、うまくいかなくてもいい。頑張ろうよ」皆はふざけるのをやめ、真剣に練習を始めた。
それからあっという間に1週間が過ぎ、卒業式当日。親や地域の人が見守る中、式は始まった。皆一生懸命練習したからか、誰一人間違えずに、無事順調に終えることが出来た。
式が終わった直後、皆が協力し、無事やりきった気持ちでいっぱいだった。皆が一生懸命になって、誰一人気を抜かない、完璧な式だった。最後の学級活動の時間に、「君達!!!!」と教頭が凄い勢いで飛び込んで来た。「武田先生が…今…」すると、息せき切った声で、「待たせたな、お前ら…」と聞こえて来た。全員が、一斉に後ろを振り向いてこう言った。
「先生、おかえり!!!!!!」
ハッピーエンドという言葉はいかにも単純に聞こえるけど、私は、物語はたくさんの人が困難を乗り越えて、初めてハッピーエンドになるのだと思う。それまでの過程は、決して単純なものではないと思う。仕事も学校生活も、受験も同じだ。この出来事から、私は「大丈夫」とか「うまくいく」とかいう言葉を、ちょっと好きになった。