落下
ただ歩いていた。
ぼーっと暗い中歩いていた。
急に地面が消えた。
そういえば、この道の溝は深かったな。
あっ、と思えばもう遅かった。
落ちる間はスローモーション。
色々な考えが巡る。
溝、つまり石。
私は頭から落ちた。
この溝は深い。
打ちどころ悪かったら死ぬなあ。
ぽすっ。
その時は秋で、落ち葉が偶然多い場所に落ちた。
私は無事で、上がるのに少し擦りむいたくらい。
でも、少し違えば。
それ以来歩くのには気を付けている。
よく、こけたり落ちたりするけど
毎回スローモーションになった気がするのは、何故?
未来
未来の事を考えるのはあまり好きじゃない。
やりたい事、好きな事。
そんなのわからない。
ただ、寝て起きたら明日が来てるから生きているだけ。
自分には未来なんて重すぎる。
絶対というわけでもないし、誰も知らない未来。
まあ、でも百年後にはきっと私は死んでいて
さらに何百年も経つ頃には
誰も私のことを覚えていないはず。
そう考えると少しだけ軽くなる。
もう少し自由に生きても大丈夫って思えるから。
一つ、願うとしたら未来の私が笑えてますように。
1年前
確か1年前、
新しい環境になって2ヶ月も経ったのに全く慣れず
浮いてしまい一日一日どうにか意味もなく生きていた。
不運の連続。
聞いてしまった陰口。
もともとメンタルが弱すぎることもあり、
辛くて一人うずくまっていた。
今はなるべく思い出さないように、
なるべくなにも考えないように日々を過ごしている。
するとなんだか不思議、前よりもマシになっていった。
断然楽になったし、自分を貫ける。
毎日が、また楽しくなった。
1年前、それはまだ序の口。
けれどもなんだかんだ吹っきれてしまうと、
真っ暗な世界に光が差すような、
色のない景色がカラフルになっていくような
そんな世界が待っていた。
あんな人なんか気に留める意味なんてない。
陰口たたくなら叩かせておけばいい。
気に留める暇があるなら自分の好きなことをしよう。
そう思えるようになった。
きっと1年前の自分なら今の自分が別人に見えるのだろう。
そしてまた1年後、
今この瞬間の自分のことが
別人に見えているのかもしれない。
好きな本
私は本が本当に好き。
私にとって本とは生きがいだ。
お母さんが言うには、
小さい頃から本が好きで、
読み聞かせをしようとすると奪って読んでいたらしい。
文字はなかなか書けなかったくせに、
読むのは小学校に入る前からある程度漢字も読めたみたい。
小学校に入ると、
一年生は絵本しか借りてはいけないというルールが不服で、こっそり普通の小説を借りようとして先生にバレ、怒られた。
仕方がないから毎日のように図書室に通い、毎週のように文庫に行き、毎月のように図書館にいった。
気づけば三年生になる頃には
文字があるだけで幸せを感じるようになり、
文字があるからという理由で勉強をするようになった。
なかば活字、本依存症。
時間があれば、ではなく
食事中は横においてある新聞をよみ、給食なら牛乳パックを読み、
お風呂はシャンプー、
歩けば店の看板、張り紙……と、本だけでなくそこら中の文字を読んだ。
本も、寝ないといけないのに手放せず、
電気を消して、懐中電灯で読んでいた。
そのせいで視力低下。
今はだいぶマシになった。
相変わらず、目の休憩といいながら本を読み、
目の休憩になってないと言われるけど。
そんなどうしようもないほど本が好きな私だけれど
実をいうと一番好きな本、というものがない。
感情移入して、泣いたり笑ったり
登場人物になりきったりするけれど、
どれも好きだから選びようがない。
しかも、どんな気分かでも変わるし。
だから好きな本はない。
けれども、本が好き。
あいまいな空
左を見れば雲一つない青空。
右を見れば雲だらけ。
朝、心地の良い快晴。
夕、土砂降りの雨。
前を見ると、雨のため傘をさす人々。
上を見ると、太陽と青空。
晴れ?雨?曇り?
天気が何かわからない。
そんな、不思議であいまいな空と季節。