特別な夜
初めからわかっていれば、
ありふれた夜になどしなかっただろう。
あの夜を僕は。
失くしてから気づいて、
どれだけ悔やんでももう帰っては来ない。
あの特別な夜は。
あれから時は流れたけど、消えないんだ。
君の笑顔が瞼の裏に、
君の声が耳の底に、今も。
ずっと、いつまでも。
#153
海の底
誰も知らないところへ行きたい。
例えば海の底はどうだろう。
深く深く沈んでいったら、
真っ暗できっと静かだろう。
何も見えなくていい。
目も耳も無くなっても、
あなたに触れていられたらいい。
#152
君に会いたくて
百夜をば一夜にちぢめ
一夜をば
このたまゆらにちぢめたる恋
―吉井勇―
祇園の花街文化を愛した歌人、吉井勇の短歌です。
思うように会えない恋をこんなに鮮やかに詠んだ歌があるでしょうか。
初めて知った時、息を呑んで、何度も何度も読み返しました。あれから何十年経っても胸に刺さっています。
震えるほど君に会いたくて、駆け出す夜。
#151
木枯らし
今まで生きていた中で一番寒いと感じたのは、
オーロラを見に行ったカナダのイエローナイフではなく(バナナで釘が打てるとか…)、
木枯らしが吹きすさぶ初冬の日光だった。
二十年以上前のことになるけれど、冬枯れの景色を見ながら、誰も歩いていない道を華厳の滝や中禅寺まで父や母や妹と歩いた。紅葉などすっかり終わっていて雪までちらついて、鼻や耳が千切れそうなほど寒かった。
あの凍りそうな寒さと中禅寺湖の深くて凄いような青さは忘れられない。懐かしい思い出だ。
#150
美しい
美しいという言葉を使うような暮らしを、
私はしていないけれど、
それでも、
煌めく翡翠色の海や、
金色と朱色に空を染めながら落ちていく夕陽、
胸に響くハイトーンボイスや
人の手の技を極めたような工芸品など、
美しいと表現したいようなことがたまにある。
普段は使わなくても、稀な時に使える言葉があることは嬉しい。
私と同じことを感じる仲間がいたような気がする。
そして私がもっと自由に言葉を使えたなら、
心が震える瞬間を、もっと上手くあなたに伝えられるのに。
#149