気が逸る時こそ冷静でありたいと常に願う。
#溢れる気持ち
一方通行の便りをどれだけ出しただろう。
便りは届いただろうか?
読んでもらえただろうか?
私には知る由もない。
もし願いが叶うのなら返事がなくとも便りが届いていることを私は願う。
#あなたに届けたい
受け取るのは容易く、相手に差し出すのが難しいものが優しさに思える。
いろんな形の思いやりの中から相手にとって適切な対応を選ぶとして、その対応には絶対の正解はなく、好意的に受け取られたり、悪意として受け取られたりする。
人との感情のやり取りをする度に人間関係って本当に難しいなぁと思わざるを得ない。
相手が受け取りたい言葉と自分が投げかけるべき言葉の違いに困惑して嫌気がさす時もある。
優しさとは人を励ますものであると同時に、人を疲れさせたり壊してしまう劇薬のように感じてしまう。
弱っている誰かを思いやるということは、すごく疲れることで、誰にでも優しくしましょうという自分にとっては綺麗事に感じる標語は、相手の気持ちを考えてしまう人にとっては毒のようであり、少しづつ、そういう人を疲弊させてしまうのではないのだろうか?
誰かを好きであってもいいし、誰かを嫌いであってもいい。
そういうことを身近に教えてくれたり伝えてくれる人がいなければ擦り切れてしまう人がいることを忘れてはいけない。
優しさは必要だと思うけど、優しさという言葉を自分は好きにはなれない。
独善的にならずに相手を思いやること。
相手に寄り添うこと。
時には相手を諌めること。
優しさって誰にでも差し出していいほどのものなのか?
自分には、そんなに軽く扱っていいものではないように思える。
#優しさ
安心と不安はお隣同士。
なのに安心は不安を嫌ってる。
不安は安心に怯えてる。
安心だけで不安がなければ慢心にならないの?
不安で怯え続けて安心を遠ざけていたら疑心暗鬼になってしまうね。
生きるなら安心であるのに越したことはないのだろうけど不安があってこそ安心が生まれることも忘れてはいけないんじゃないのかな?と、ふと思った。
そして怖くても信じることを忘れてもいけないのだとも思った。
#安心と不安
裸眼の先の明るい笑顔をカメラレンズで写すと笑顔より眩い日差しが明るさを暗く染めていた。
歯痒さと忌々しさの小さな棘が胸をちくりと刺した。
眩いと感じるほどの光を配り続ける太陽よりも一瞬の明るい笑顔の方が私には好ましく思えたからだ。
#逆光