手を取り合って、何かをする。
昔から協調性が無くて、団体競技とかパーティとか大人数で行う行事が苦手だった。
自分は周りの人とは何処か違うんだろうなと思って、それを自分の「個性」だと信じていた。
しかし、生きていく上では何かと他人と関わる場面は多い。
何人かと協力することも多々あったのだが、その度に思うのは自分は周囲に手を引っ張って「もらっている」という感覚だった。
最近になってようやく、自身の協調性の無さは「個性」ではなく「未熟」さから来ているのではないかと気づいてしまった。
まだまだ、自分には誰かと手を取り合えるなんて先の先のステージなのかも知れない。
優越感に浸れるのは人と自分を比べる時
劣等感に苦しむのも人と自分を比べる時
そんな感情に支配されず、ただただ自分の物差しを広げていく。
そんな人生を歩んでいきたい。
これまでずっと生きてきた。
人生は楽しさよりも辛さが重くのしかかる。
その辛さを凌ぐため、
ある人は誰かのせいにして、
ある人は誰かに擦りつけ、
ある人はそれを暴力的に発散する。
生きてるだけで十分だとか、百点満点だとか、いいことあるとか、そんな類の無責任な言葉が大嫌いだ。
そんな言葉は言った側の自己満足でしかない。
とさえ思ってしまう。
十分であるならば、
こんなにも自ら命を絶つ者がいる筈がないだろう。
今まさに生きるのが辛い人間に、
それでもまだとりあえず生きろというのか。
具体的に十分と言える生き方を提示してくれ。
え?
そんなものは人それぞれだって?
だったらそんないい加減なことは言わないでほしい。
1件のLINEを返すのに、
とても長い時間がかかっていた頃があった。
長い時は1時間くらい。
学生の頃、LINEの返信が本当に苦手で、
一言返すだけでも10分くらい考えることがよくあった。
相手に分かりやすく、
堅苦しくなく自然な文体で、
嫌われないように、
なるだけ手短に済ませられるように。
そうこう考えている内に、
「おい無視すんな」
とメッセージが飛んでくる。
ああ、また1から文を考え直さねばならないのかと携帯をぶん投げてしまいたくなる。
大体こういう事を言ってくるやつに限って、
会って話せば良いようなどうでもいい内容しか送ってこない。
勝手に動画送りつけて感想求めてくるやつが1番苦手だった。
今は適当に理由作って後日返信したりするのだが、
学生の頃は返信時間が本当にシビアだった。
社会人になって暫くは、忙しさにかまけてLINEを返さない事がザラにあった。
今となっては「おい無視すんな」と言ってくるのは上司くらいか。
たった1件のLINEに何ヶ月ぶりに返事をすると、何時間か後に、素っ気ない返事が返ってきた。
目が覚めると、またいつもの日常が始まる。
今日こそは何かしてやろうと思い立つのだが、きっと家に帰る頃にはぐったりと何も出来ずに終わるのだろう。
それでもその気持ちを忘れずに、少しずつでも確実に、一歩前へ踏み出して行こうと思う。
そうすれば、きっといつか、素晴らしい景色を眺められているのかもしれないから。
明日も頑張れ。