最近、泣いている暇もなかった。学生なので社会で働く人と比べるとさほど忙しいわけでは無いのだろう。忙しいというより、何処へ言っても「受験」「進路」「勉強」と言う中高生の聞きたくないであろう言葉トップ3が付いてまとい、どちらかと言うとうんざりしていた。それだけならまだしも、猿山に入っても浮いてしまいそうなほどの、俗に言うキ○○イのような言動をとる輩がうじゃうじゃと周りに巣くっている。見たり聞いたりしてるだけでも、一言目に「あー、しんど」と漏れでてしまうし、ひどい時はとてつもない悪寒と嗚咽に襲われそうになる。だがそれをなくすには、そいつらに物凄い恐怖感を植え付けるか、殺すかどちらかしかない。だが今の世の中、中々そう言う訳にはいかないようで、教師陣も頑張ってはいるが甘過ぎるのでなくならない。と言うよりも連帯責任にすぐしてしまうことによって、逆に反発する生徒が増える他、「あいつが…」と生徒間での仲間割れや、いじめが起きてしまう。キ○○イ組の中には自分が嫌われていることや、浮いている事を逆に「注目を集めている」と認知し、興奮してまた狂行に出る変態も数多く存在する。社会のルールが一応定まった場所より、「子供だから」と言う甘さと面倒臭さの滲み出た場所の方が、そういった幼稚な問題が起きやすいようだ。そんな中で生きていくのは、社会に出たら遊びのような物なのだろうが、バカと行動力の無い大人の中で逃げ場がないと感じる事もある。正直言って優等生は優等生で、時代劇に出てくる悪者の下っぱのようだ。手を擦りながら下から下から良く見て貰おうとよいしょして、真面目そうで実は全く意味の無い政策を練り立てる。「あー気持ち悪い」。三角関係以上に執行部と教師の関係はどろどろしている。この時点でもう泣きたくなるのだが、まだ自分にはサッカー部であるという部活上最もしんどい欠点がある。「昔とは違って楽なんだから」と良くコーチに凄まれるがシンプルにきつい。ならやめればいいと思うかもしれないが、仲間達との交流が一気に途絶えてしまいそうで怖い。何とかその中で楽しい時をはいまわって捜すのは、最近の生きがいになってきた。だが、やはりしんどい。私は今、右足を痛めている。「大袈裟」「弱い」、他人事ならではの発言が頭上を飛び交っていく。何とか真に受けないように頭を下に向けるが、私の上で雲となり、言葉が固まって大きな粒の雹になり胸の奥深くに突き刺さって穴を空けていく。私は周りの子らと比べて経験が浅く、痛みにも弱い。だが、人一倍自分がどれだけ面倒臭さがられているか身に染みて感じる。「あーしんど」と口から漏れ出る言葉の色が段々と赤黒くなっていく。そんな風にして出来ていく穴を塞ぐため、私は音楽を聞き、歌う。今までの目的は鬱憤はらしだった。しかしこの間、一覧に「涙そうそう」が流れてきた。押してみる。しばらくは普通に聞いていた。今まではただ単に良い歌としか思ってなかったはずなのに、心の中の何かがすくいとられる気がした。(そう言えばお兄さんがなくなった時に作った詩なんだっけ…)。そう思った瞬間何か熱いものが久しぶりに込み上げてきた。なんだかその時なら泣いても良い気がして、止めどなく涙があふれでてきた。どのくらい泣いただろうか、ふと我に返り私は風呂場に駆け込んで水を浴びた。冷たくて、広いアルプスに広がる芝生の中に流れる川に仰向けになって寝転がっているような感覚に覆われた。母が呼んでいる。私はすっかり澄んだ目になって「あー、しんどっ!」と叫び一歩を踏み出した。