“子供のままで”
今日は「母の日」
母の日の題材に
“子供のままで”
母にとったら
成人しても 我が子は
“子供のままで”
なのだろう
子供にとったら
年老いた親は
“母のままで” ありながら
複雑な気分になる
母にとったら
私は
“子供のままで” いるのに
私にとったら
母は…
もちろん 母に変わりはない
…その つもりだ
“愛を叫ぶ。”
今までも
これからも
“愛を叫ぶ。”
コトは 無いな
“愛は感じて。”
伝えて
伝えられたら
嬉しいです。
“モンシロチョウ”
春を告げる
モンシロチョウ
菜の花畑に戯れる
越冬は出来ない
モンシロチョウは
寒い冬は 蛹で過ごし
春の暖かさに
羽化をする
モンシロチョウを見ると
寒い冬が終わり
花々が咲き乱れる
春の訪れがきたことを
実感する
“忘れられない、いつまでも。”
“忘れられない” 事は、ないかも…。
モヤモヤと “忘れられず” にいた
“何か” は、あって
思い出すと嫌な気分になるコト。
でも
いつかは、“それ”も「忘れている」
私には 幼少期の記憶が ほぼ無い。
「思い出」も
そこそこ大きく成長してからのコト。
ただ
“忘れられない” コトは、ないけれど
“覚えている” コトは、ある。
数少ない幼少期の記憶で
今でも鮮明に 思い出す…
“家の近くの路地で
灰色に近い青色の2頭のシジミチョウが
戯れながら 飛んでいる
その蝶たち を目で追っている 私”
“鮮明な色をもつ 数少ない記憶”
“一年後”
「明日の事さえも、分からないよ」
と…
いつもの私だったら、思った だろう。
“一年後” なんて “鬼が笑う”と…
けれど…今年は
“2025年5月10日又は11日”
“一年後”
「私の願いが、叶いますように」
2024年5月8日
この“一年後”の題材にて
2025年5月8日 の私へ
「願いは、叶いますか?」
2025年5月8日
この“一年後”の題材をうけて
2024年5月8日の私へ
「 」