風を感じて
私が感じる風は、ほんの少し不快だ
髪型が崩れるからとか
目が乾くからとかそういうことじゃないけれど
なんとなく、風が気持ちいいと思えない。
でも周りは、「風が気持ちいい」とよく言う。
私の感覚がおかしいみたいだ。
夏の風はぬるく、冬の風は冷たいのに
なぜ「風が気持ちいい」なんて言葉を作ったのか。
私にはきっと当分分からないだろう。
夢じゃない
「夢は叶えるものだ」
こんなのは夢を叶えることができたから言えることだ。
「夢は見るものだ」
こんなのは夢を見れる環境にいる者が言えることだ。
「夢でありますように」
この現実が夢であれ願おうとするなんて馬鹿馬鹿しい。
夢であることが救いなのではなく
夢じゃないことが恐ろしいのだと誰も気づかない。
心の羅針盤
「最近、心の羅針盤が狂ってきたんだ」
『なにそれ?』
「自分がどの道に進むべきか検討もつかないんだよ」
『人生の道に迷ってるってこと?』
「そういうことだね。」
『でも、最近の君は以前よりずっと楽しそうだよ』
「進むべき道がハッキリしていないのに?」
『道が見えないから楽しいんじゃないか。』
「でも羅針盤がなきゃ道を間違えるかもしれないよ」
『羅針盤が指す道を進めばきっと困ることなく
人生を歩めるだろうね。でもその道が正しいなんて
誰が言ったんだ。』
「それもそうだね。」
『そうだろう?』
またね
次があるとはどれほど幸せなことだろう。
たった三文字で幸せを与え、得られるとは
どれほど素晴らしいことだろうか
泡になりたい
人魚姫じゃあるまいし、そんなことは不可能だ
「泡になって消えてしまいたい」とどれだけ願おうと
本当に消える人など存在しない
そんなことはきっと周知の事実で
消えたいと思う人が痛いほど感じていることだ
それでも願う人がいるとはなんと惨めなのだろう
そして、そんな惨めな人間を生み出すこの世界が
1番惨めである。