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7/5/2024, 12:58:04 PM



星空が怖い。あの得体の知れない輝きも、いつ落ちてくるか分からない不安も、どこまでも果てしなく続く暗い青も、その全てが私をギリギリと追い詰めている。

ここまでの話では単なる恐怖症、目に入れなければいい話。しかし、星空というのは想像以上に日常に絡んでくるもので、テレビ番組にSNS、絵画、書籍、道端のポスター、街に蔓延る恐怖に私は今日も苦しめられている。
原因を探し出そうにも、いつからかこんなことになったのか分からないぶんには追求できない。少なくとも高校時代まではこんなはずではなかったのだが。

「それで、星空を克服したいと?」
いつか糖分過多で死にそうなほどの砂糖を入れたミルクティーにも手をつけず、彼女は疑問符を付けて、そう問いかけた。よくつるんでいた高校時代にはまだ自覚していなかったもので、天体観測に精を出していた私達からは想像出来ないものだからだろう。
「このままでは星空に狂わされて殺されかねん。かつての同士を助けると思って付き合ってくれ。」
「そりゃあ君の星空恐怖症を克服するのは手伝うさ。友達だからね。ただ、卒業したあと君が天体観測に誘ってくれないのはこれが原因だったのかと驚いただけだ。」
「それは……忙しかったのもあるがな。お互い社会の歯車だ。時間も余裕もないだろう。」
社会の歯車にも星空を眺める権利はあるだろうにと呆れたような台詞を吐く彼女はチョコレートをつまもうとして手を戻した、どうやらビターは子供のような彼女の目にはかなわなかったらしい。天体観測をしていないのは、恐怖症だからでも、忙しかったからでもない。私はただ、疎ましかったのだ。あれほど2人で追いかけた空を恐れてしまう自分が、そんな私を嘲笑うかのように毎日現れる星空が、あのころのまま星を愛する君が。
「まぁそんなことをとやかく言っても仕方ない。原因探しをしようじゃないか。」

「そうして君に話を聞き続け、質問し続けて約3時間、進展は無しか。もうちょっと具体的な答えをくれよ。君腐っても理系だろう?もうちょっと理知的な話をしてくれ。」
彼女の星空のように広がる瞳が怖くなってか、それとも責めるような口ぶりにいたたまれなくなってか、目を背けた。
「答えと言われてもこれ以上答えられないんだ。私自身、分からない。」
こうして我々の原因探しは完全に行き詰まってしまった。ここまで来てしまえば、あとは押し問答の繰り返しだろう。この終わりの見えない議論は終わりにするべきだ。そう結論づけ、口を開きかけた時、遮るように彼女が聞いた。
「そういえば君、大人になってから怖くなったと言ったな。」
「そうだが、それがどうした。ちなみにいつ頃か明確な時期はわからんぞ。」
「別にそれは気にしてない。ただ、星空というのは私たちの夢の集合体だ。それを忘れてはいないかと。」
「は?」
なんの脈絡もない言葉に思わず疑問の声が漏れる。
「いつか星の向こうに辿り着くことを夢見て、理想と希望を詰め込んだ楽園だ。永遠に辿り着くことは無い、程遠い異世界だ。あのころの我々にとってはそうだった。」
「次の日の朝のことも気にしないで、望遠鏡を持ち寄って、夜遅くまで天体観測をしたな。まるでどこぞのバンドの歌みたいだった。」
「ても夢からはいつか覚める。夜は更けて朝になり、子供は成長して大人になる。大人になったぶん空は随分近くなった。」
「近くなって、近くで見てしまったから、その楽園が子供の甘さと無知で出来たものであるという事実に気がついてしまった。そうなんだろ?」
「君が見れなくなったのは、星空じゃなくて子供の頃の君なんだよ。大人の君にはあの頃が許せないんだ。あの頃を通して見えるあの頃から変わってしまった自分が怖いんだ。」
「何を根拠にそんなことを言ってるんだ。私はそんな」
「君、今日あってから僕の目を1度も見てくれない。子供みたいだって君が揶揄する、僕のことを。まるで恐れているみたい。」

星空が怖い。あの得体の知れない輝きも、いつ落ちてくるか分からない不安も、どこまでも果てしなく続く暗い青も、その全てが私をギリギリと追い詰めている。

星空が怖い。今では得体の知れない遠くなってしまったあの頃の輝きが、どこまでも果てしなく続く青春の暗い影法師が、あの頃の夢が、あの頃の私達が、今の私をギリギリと追い詰めている。
夢に届かず諦めた私を、許さないと、殺そうと星空が上から追い詰める。
そうしていつか落ちてくるのだ。いつまでも過去に囚われた愚か者の、その上に。