同じ過ちを何度繰り返すのか。
根本的な問題を解決しなければ
またもとに戻ってしまう。
人は習慣で出来ている。
未来を決めて、今を変えて、過去が出来上がる。
あの奇跡をもう一度・・・
なんて神頼みはしない。
必要なのは再現性。
そこには確実な論理と原則が存在し
まず間違いなく方程式と行動で結果は生み出せる。
今やるべきことはわかってる。
知識も経験もあり、ゴールまでのマイルストーンも
見えている。
あとは決めて、やるだけ。
あれは奇跡なんかじゃない。
もう一度どころか、死ぬまでずっと叶い続けられる。
よし。
痩せよう。
ただ そこはかとなく
それは そこにある
がまんのじかんは ながく
れんじつのひろうが からだをむしばんでいる
たそがれどきの かえりみち
そのしゅんかん
が おとずれる
れいとうほぞんされたままの たいせつなおもいで
「 おかえり 」
将来について考えてみる
きっと明日も同じように考えるだろう。
窓辺に大きな木製の机があって
自然を観ながら四季を感じ
パソコンをカタカタ操作する。
慣れたプログラミングで誰かの役に立つツールを作り
好きなイラストを描いてゲームやアプリ、広告や看板を彩る。
楽しみは妻と二人で食べる夕食。
いつものメニューを一緒に用意してゆっくり食べる。
手作りのデザートを食べたり
コンビニにアイスを買いにいったりして
夜の時間をのんびり過ごす。
そんな日々がずっと続く。
昨日と同じ今日。
そしてきっと明日もまた。
こんな日々をおくれて本当に感謝しかない。
音を感じるということは
生を感じることと同義語だろうか。
静寂は人に緊張をもたらし
ときに安らぎを与え
時が刻まれていることを実感させる。
きっとまたすぐ賑やかになる。
でも今はまだこの時間を大事にしたい。
自分だけの時間
五感が研ぎ澄まされ
心の声が騒ぎ出す。
もう少しこのままで
何が大切なのか
もう少しで掴めそうだから
静寂を壊したくない
ゆるりと動き
空気と肌が触れる音を聴く
耳をすますように
自分の中の声を聴く
もう大丈夫
そして時は動き出す。
出会いは不思議なもので
一瞬にして別れ際のことを想像させる。
この出会いは自分に何をもたらし
どこで潰えるのか・・
別れを待ち 新たな出会いを求めるその心は
きっと新陳代謝と呼ぶような 本能ではなく
ただの自分への
保護シートなのだろう。
なにかに依存し
傷つくことが怖い
怖さから目を背ける言い訳は
いくらでも湧いて出てくる
でもきっと逃げてるうちは
本当の自分にも出会えない
別れ際にまた思う。
出会ってくれてありがとう。
でも またいつか なんてなく
本当にさようなら