「辛い時は逃げていいんだよ」
温かい微笑みと共にそう言われたから私は駆け出した。風を切って、息を切らして、心をすり減らして。辛かった。もうやりたくないと思った。けれども、「逃げていいんだよ」そう言われて、駆け出した瞬間が一番しんどくて、辛くて。
私は頑張りたかったのだと分かったのが逃げ出してからでは遅いだろうか。もう一度頑張ってみるのはダメだろうか。
応援して欲しいとねだって、逃げ出しそうだったら捕まえて欲しいと懇願して、もう一度頑張るのは手遅れだろうか。
逃げてきた道を、泣きながら戻る。過去の私がぎゅっと口を結んで恨めしげに逃げた私を睨んでいた。
「ごめんね」
私、頑張るよ。頑張りたいよ。
ぎゅっと自分を抱きしめてやったら、また涙が溢れた。
ハッピーエンドは単純だ。最後を「ハッピー」にしてしまえばできあがる。転んだ子どもはあやされれば笑顔になる。貧乏で虐げられていても宝くじで億万長者になればハッピーで。
がしゃんとリビングで食器の割れる音がした。それから父と母の喧嘩の声。甲高い声が悲鳴のように響いた後、怒鳴り声と啜り泣きの音がした。私は耳を塞いで1人部屋でうずくまった。私の体に傷はないはずなのに胃が痛くて仕方がない。
こう言う時は決まってすごくかっこいい王子様のような人が迎えに来る妄想をする。「もう大丈夫、僕と幸せになろう」ってその人は迎えに来る。優しい笑顔に誘われてついて行って、おしゃれなピアノの曲がかかった部屋で2人でのんびり過ごす。そうしてふかふかのソファーに座って落ち着いた頃にほうっと息を吐くと、なんにも知らない顔で彼がこう言うのだ。
「幸せだね」
がちゃんっと何かが割れる音がした。
私の心はいつもキシキシと音を立てている。歪んだ椅子の音。キシキシ。キシキシと鳴るたびに、私はああ鳴ってるなと思う。
嫌な音のように思えるが、案外そうではない。この音を聞くと生きている心地がする。確かに楽しくて幸せな時にはこの音はしないけれど、つまり幸福は無音であるということだから、私にはとても寂しく感じることがある。だから、そんな時その音がすると私はほっとすることができるのだ。
ああ大丈夫。私は生きている。
痛む心を抱えて、常に孤独と手を繋いで私は生きている。