あの時に戻りたい、と何度思ったのか、もう数えられない。「あの時」の瞬間は時によって変化するが、戻れないと分かっていても、戻りたいと思わずにはいられない。
しかし、視点を変えると、今の瞬間も未来の自分からしたら「戻りたいあの時」になるのではないか。
そう考えると、今も悪くないなと思う。
卒業式の後、もう二度と会うことはないと分かっていながらも、「またね」と言ってしまった。
卒業してからそれなりに時間が経ってしまったが、縁があるなら、また会いたい。
学校をサボった時、街中を歩きながらふと、今学校のみんなは何をしているのだろうかと気になったことがある。
一度自分が透明になって、誰にも気づかれることなくクラスに潜り込めたら良いのに、と考えてしまった。
この時、学校をサボっていながらどこか学校に行きたいと思っていた自分に気づき、改めて私は学校が好きだと気づけた。
現代の人間が一日に触れる情報は、江戸時代の一年分、平安時代では一生分に値する量である。
様々な物事の流れが非常に早く、数年後でさえも正しく予測出来る人などいなくなってしまった。
このように時代の流れが早く、情報に溢れている世界にも関わらず、私たち人類の脳みそは30万年前から変化していないとも言われている。
今の時代はとても便利だが、こんな時代だからこそ、自分はどう生きるのが良いのか分からなくなってしまう。
生き方に正解はない、という言葉の意味が、最近身に染みて分かるようになってきた。しかし、正解がないと分かっていながらも、どこかで正しさを求めてしまうのはどうしてなのだろうか。
人の数だけ理想は存在し、今の私の理想と5年後の私の理想はきっと異なる。それでも、今より成長して、人生を楽しく生きていれたら良いなと思っている。
朝、下駄箱に行くとクラスメイトが上履きを履き終わったところだった。
出席番号が前後で、席も前後の子だったが、特に親しい訳ではなく、時々話すことがあるくらいの仲だった。
パソコンを使う授業の時、その子がパソコンをフリーズさせてしまい、どうしたら良いか分からず、困った様子で私に対処法を聞いてきた。
私も分からなかったので、教師よりもパソコンに詳しい別のクラスメイトに頼ってもらうことにした。
それだけのことだが、フリーズさせた時の慌てぶりが何だか面白かったので、数年経った今でも覚えている。
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