17歳の冬に、学校をサボって夜まで東京にいた。そういう日が年に何回かあった。
池袋に行った時、19時頃になると帰宅途中のサラリーマンやOLで、大通りがごった返していた。みんな今日の夕食やこの後の予定で頭がいっぱいなのか、誰1人として周りの人々を気にする様子は無かった。
あなたはこれを聞いて、やはり都会は冷たいと思うのかもしれない。しかし、あの時の私はこの都会に居心地の良さを感じていた。
まだ高校生だったからだろうか。クラスメイトや親からの優しさという干渉がどこか嫌で、私は居心地の悪さを感じていた。今でもよく分からないが、全く干渉しないという優しさは、あの時の私にとっては何故か心地よかった。
今もなお冬の夜になるとあの日を思い出す。
もう二度と戻れない時間であり、他の人からすればありきたりの瞬間だったのだろうけど、私にとっては大切な思い出。
真夜中
愛があれば何でもできる、というが、この「何でも」には人それぞれの価値感が反映されていると思う。
いわゆる、「今何でもいいから食べたい」と言う言葉のように。「何でも」が、考えられる全ての事を表す人もいれば、例外を含む人もいる。
愛があればなんでもできる?
あの時、早退なんてしなけりゃよかった。
あの時、もっと自分の気持ちに素直になれていたら、ちゃんと相手と話し合えていたら、あの日々をもっと大切にしていたら。
生きれば生きるほど、人は後悔の種を作ってしまうものだと思う。
その後悔を未来に活かせ、とよく言われるが、そう簡単に活かせるのならば、そもそも後悔なんてしない。
後悔
時代の波を嫌い、逆らう者に未来はない。
時代という風に反発し、向かい風にしてしまうよりも、追い風にする方が幸せに生きれるような気がする。
風に身をまかせて
毎日の学校はとても退屈だ。
時間割にそって授業が進められ、休み時間も大して楽しくなく、昼休みのご飯だって別に楽しみでもなかった。
ただ繰り返されるだけの日々がとても嫌だった。
そんな嫌で逃げだしたくて少しでも早く終わらせたかった日々がようやく終わった。
しかし、今は何故かあの日々がとても恋しい。
失われた時間