生きる意味
元来人間に備わっている”生きる意味”など存在しない。ならばそれは誰が決める。誰が定義する。誰が教えてくれる。
私だ。私の生きる意味は私が決める。他の誰にだって決めさせやしない。私にだって決めさせやしない。責め立てるな。本当の意味で私のことを理解できるのは私だけであるように、本当の意味で私のことを労ることができるのは私しかいないのだ。
私は私に言う。
幸福たれ。
どうせ生まれた命、今すぐに死ぬこともできないのだ。結局何をやっても死ねないのなら、諦めて幸せになってやろうじゃないか。
善悪
我々は生まれながらにして善い人間か悪い人間かが決まっているのだと、いつだったか誰かが教えてくれた。善い人間には善い人間しか集まらないし、悪い人間には悪い人間しか集まらない。そうやって世界は棲み分けられているのだと。
何が面白いのだろう。そんな決まりきった世界の、どこに惹かれて私たちは生まれてきたのか。無論、そうではないからわざわざ此処に立っているのだ。
自分を嫌いで居続ければ善い人間になれると信じているのだろう。諦めて己のことを好きになってしまう方が何倍も”善い”のだと、そろそろ認めてはどうか。
自分を悪い人間だと信じているのだろう。悪い人間ではいたくないと願っても、己が善い人間であるとは到底思えないのか。そこで腐れば誰も救われないことを、そろそろ直視してはどうか。
私は私にしかなれない。同じだ。誰だって同じだ。貴方だってそうだ。私と同じように、貴方だって貴方にしかなれないのだ。善くありたいのならそれだけでいい。そう思っていればいい。そう信じていればいい。いずれ必ず現実になる。貴方がそれを現実だと思える時が来れば、全て現実になる。
ほら見てみろ。世界なんて、決まりきっていない方がずっと都合がいいだろう?
今日の心模様
晴れていると思っていた。私だけがそう思っていた。周りだけがそう思っていた。遥か上空で薄らいだ雲が太陽の光を微かに遮る。どれだけ薄かろうと、どれだけ小さかろうと、一片の雲があればそれはただの曇りなのだ。晴れることはない。永遠に雲は消えない。
どれだけ上を見ないかで、上手な生き方というのは決まるのだろう。