刹那…それは一瞬の出来事のこと、または時間の最小単位を指す言葉。
そんな短くて少ない時間が最後の時間だとしたらどうする?今までの事に感謝するか?それとも今までしたことの懺悔をするか?
それを考えるのは刹那の瞬間が最後の時じゃない奴が人に問いかけるときだけだ。だからこそ今の日常も僕も刹那と言う言葉と関係ない生活をしている。
ならこの生活が続けばいいなと僕は俺はそう思うだけだ。
[刹那]
「生きる意味か…」
そう考えたとき小説を書いていた僕の手は止まった。
生きる意味、それは人によって違うし意見なんて人それぞれだ。
でも僕の考えは
「生きる意味なんて無いな」
そうだ、僕に生きる意味なんて無い。
理由なんてないんだ。
今すぐ首を括ってもいいかもしれない。でもそれをしないのは怖いと言う恐怖とどうなるかわからない恐怖の2種類が待っているからだ。
生きる意味に明確な理由なんてものはない。だけど、曖昧な恐怖によって今を生きてるだけであるなんだ。
輪廻転生とか、魂の浄化とか…
そんなのは自分にとってとうでもいいし{生きる意味}に関係ない。宗教でもあるまいし、だからこそ僕は明確に理由は作らない。それは今もだしこれからもだ。
僕の小説を書く手は止まったままだ。
僕の物語が、作者が僕なら、まだ生きる意味を探す人生と言う物語を適当に書いてみたい。
生きる意味なんて無くても良いただ、適当に物語を紡いでいくだけで生きる意味になるかもしれないのなら僕はそうするよ
[生きる意味]
善悪なんて人と言う生物が勝手に決めたことだ。
天使は善で悪魔は悪、それすら旧約聖書とか言う昔の人間が神話なんて呼称される本当か分からないものを読み決めたことだ。
善悪の定義なんて所詮人が勝手に決めて勝手に人を裁くだけの馬鹿みたいな、サイクルなんだよ。
だから善悪なんて人が嫌だって感じたら悪い、良いって感じたら良いなんて曖昧な規律だ。考える必要もないし従う必要も本来はないだが皆が従っているのはそれがあたり前になっているからで従わないと周りから外れてしまうことを恐れるから善悪で決められた曖昧な定義の規律を守ろうとする。
善悪なんて結局は感情論なんだよ…
ハァ…息苦しい世の中だよ、この世界は
[善悪]
流れ星に願いを3回唱えれば願いが叶う
なんて言う言葉を小さい頃にたくさん聞いた。
流れ星に3回なんてどこかのテレビ番組で科学的に無理だと言われてたような気がするけども。
流れ星に願いを叶えてもらえるなんて素敵なことだろう。だけど、僕は叶えてもらう願いも無ければそんな事を信用なんてしてないから。
ファンタジーチックでとても現実主義の僕の心はもう純粋な頃には戻れない。
皆、子供の頃の純粋には戻れないんだからさ。
じゃあ、新年に神社で形だけのお参りをするようにさ
ふざけてでもいいからさ
流れ星に願いを祈ろうか?
[流れ星に願いを]
この日常自体がなにかのルールかもしれない。
とある有名な科学者はこの世界の理に法則を見出した。それを凡人達に理解させるために法則をルールと仮定した。
世界には世界のルールがある。
それは守らなくてはならないことで僕らにとっては息苦しいことだ。例えるのなら、首にベルトを巻き付けられているかのようで鎖で縛られ押さえつけられる。
逃げだしたなら、逃げたしたそいつは周りから白い目で見られる。
ハハッ誰だよ、この世界で生きてるだけでありがたいと思えって言ったやつ。
こんな息苦しいならルールで窒息したほうが良いんじゃないか?
ルールを守るなら息苦しさに文句を言うな、ルールを破るなら周りの目を気にするな。
決まり事、それこそがルールだ
[ルール]