《※フィクションです》
突然だが私の父は消防隊員。母はとある企業のOLだ。
私がふらふらと目を擦りながらリビングに行く頃には既に父の姿はなく、母が私のお弁当を作ってくれているのが当たり前の日常だった。
私がおはようと言えば、母がお弁当作っておいたから食べてねと言う。
私が今日は雨だねと言えば、母が傘を忘れないようにねと言う。
タオルを持っていくことにしよう。
それが日常。当たり前の光景。
先月の誕生日で、父が私に買ってくれた白を基調としたシンプルなデザインの傘をさして家を出た。
学校に着くと、何人かの生徒が制服が濡れたと嘆いているのが聞こえた。
私も靴下が濡れた。
仕方なく靴下を脱ぎ、鞄の何も入れていない小さいポケットにそれを突っ込む。
帰ったら鞄も洗わないといけなくなった。少し面倒。
雨の日の教室は、どこか不思議な感覚。孤独感に近い、何もかもが空っぽになったような感覚。
でもその感覚が心地よかったりもする。何故だろう。
学校が終わる頃には、先程まで降り注いでいた雨なんてまるで夢だったとでもいうような快晴に変わっており、あまりの眩しさに目を閉じる。
正門をくぐるタイミングで、カンカンカンと耳を劈くようなサイレン音を鳴らしながら消防車が数台、通り過ぎて行くのが見えた。
私は興味本位か、その消防車が走っていった方向へ流れるように足を進めた。
着く頃には野次馬ができており、撮影をしている人もいた。
野次馬を掻き分け先頭へ行くと、木造の古い一軒家が赤く燃えているのが見えた。
確か住んでいたのは、80代のおばあさんだった気がする。毎日庭の掃き掃除をしていて、何度か話したことがある。
幸せそうに笑いながら、家族の話を良くしていた。
私がおばあさんは大丈夫なんですかと聞けば、野次馬を制止していた消防隊員は救助したので無事ですよ。お知り合いですか?と聞いてきたので何度か話したことがありますと答えた。
どうやら朝から体調が悪かったらしく、何とか台所に立ってみたものの、火を消すのを忘れたまま寝てしまったのが事の発端らしい。
体調は心配だけど、無事なら良かった。
安堵していると、野次馬の中から母が出てきた。
母は焦ったように猫は?猫は?と何度も聞いてきた。
私が猫は見てないと答えると、母は無言で燃え盛る炎の中へ走り出した。
消防隊員が気づき、強く引き留めようとするも聞かず、母は業火の中に消えていった。
私は訳が分からず、止めることができなかった。
火が消し止められ、立派に建っていた一軒家は湿った木の板になっていた。
そこから発見されたのは、燃えきらなかったおばあさんの私物と、母と3匹の猫の骨だった。
それを聞いた数日後に、父は自責の念にかられた末に自殺した。
私は泣けなかった。母の葬式の時も、父の葬式の時も。
親戚中からそれを非難されたけれど、言い返す気にもならなかった。
私は同時に、大切な人を2人も亡くした。
父と最後に話したのはいつだっけ。
母と最後に話したのはいつだっけ。
どんな会話をした?
あの喧嘩、ちゃんと謝れないままだったな。
あの時母が助けようとした猫。1匹は子猫で生まれてすぐだと言っていた。思えば、こんな話をした事があった気がする。
昨日、夫婦猫を見つけたのよ。
夫婦猫?
そう。メス猫は妊娠しているみたいで、近所に住むおばあさんの家で飼ってるらしいわよ。
おばあさん、猫飼ってた?
最近になって飼い始めたんですって。1人は寂しいからって。
いいね。私も会いに行こうかな。
結局、会いに行けないままこの結果になってしまった。
という出来事があったのが、2ヶ月前だ。
私は今、施設で保護してもらいながら生活をしている。突然の環境変化に慣れてはいないけれど、生活はできているので問題は無い。
毎夜とある夢を見る。
猫を抱えながら走り去る母を、ただ立ち尽くして見ていることしかできない夢。
たった一言が言えない夢を。