これまでずっと過去に引きずられて前を向けずに生きてきた。
なんとかしたいと思って、本を読んだりセミナーに参加してみたり、自分を変えたいと行動もしてきた。
それでも何か変わってきた実感が無くて、なんともならない自分に絶望感しかない。
これまでの人生を悔いている限り、前を向いて進むことができないんだろうなと漠然と思うけど、じゃあどうしたらいいかが、いまだに不明。
過去を無かった事にしてしまう?
過去があるから今の自分があるんだと、どんな過去も受け入れる?
なかなかどんな境地にも辿り着けずに、人生を終えるのかもしれない。
1件のLINE
今日のお題は難しいな。
何にも浮かばないし、書けそうにない。
LINEに大して意味を感じないし、単なる連絡手段だし。
そう!単なる連絡手段だし、なんならスタンプだけなんてこともあるしね。
言葉さえ要らない連絡方法があるって、人と人との繋がり方がこんなにも様変わりしたのだと実感する。
目が覚めると、スッキリ起きられる日と、いつまでもだらだらしていたい日がある。
毎日当たり前のように訪れる朝。
当たり前ではないという自覚があれば、どんな朝も大切な1日の始まりと思えるのに。
なんとなく起きて、なんとなくだらだらと時間が過ぎていく朝はなんとも言えず自分を責めてしまう。
私の当たり前は、あなたの当たり前じゃ無い。わかっているのに、つい言ってしまう。
「そんなの当たり前じゃない!」
自分の基準で相手に押し付けてしまう。無意識レベルでそう思ってしまってるんだな。
自分の考えに自信がある訳でも、確固たる信念がある訳でもないのに。
ただ単に、そう思い込んでるだけたし、それ以外の思考がないというだけで、何の疑いも持たずに相手に押し付けてるんだ。
そう、ただの思い込みに、自分も苦しんでいるはずなのに、なぜ人にそれを押し付けるんだろう。
もう手放したい、当たり前という考え方を。
七月七日は七夕ですが、私にとっては祖母の命日。
その日は夏祭りの宵宮でもあり、町中が一年で一番活気がある日だったなぁという記憶がある。
今から50年以上前の七夕の日、末期がんで闘病中の祖母が亡くなった。
痛み止めも使わずに全身に転移した癌の痛みに苦しみ続けていた祖母は、あっけないほど突然息を引き取った。
家族がみんなお祭りの興奮の中で、わいわいしている中、静かに静かに逝ってしまった。
痛みや苦しみの中にあっても、お祭りのお小遣いを孫たちに渡して、楽しんでおいでと送り出してくれていた。だから、そんなに早くお別れすることになるとは思ってもいなかった。
七夕が命日だから、何十年たっても祖母の命日は忘れることがない。