どんよりした天気の中、生まれた息子
喜びよりも不安が大きかった
それでも、どんな手を使っても守るべき子どもだと絶対的な味方を得たと自信を持っていた
あれから30ねんを過ぎて
息子は家庭を持った
そうか私の役目はここまでかと思う
それでも困ったら頼られることに
まだ味方として役目があることにちょっと安堵してる
孫の世話を積極的にしたいわけでもない
手伝える所だけすればいいかな
味方として
次男が結婚して2年。男の子の孫が誕生した
次男に良く似ている気もするが嫁さんにも似て愛らしい顔立ちだと親バカならぬババ馬鹿だ。
2年前に長男の所にも愛娘が産まれ私ら夫婦は結婚30年を過ぎお爺、お婆となった
無垢という言葉はここにしか使わないはずだ。本当に赤ちゃんは無垢である。
ごめんね。言ってから考えた。
謝ってどうする。どうしたい?
信じられないことが起きてしまったと
混乱していたから?
あれから10年を過ぎてしまい
そのことは勝手に心に残り続けている
急死してしまった友人に
ごめんねと言う言葉がなぜ出たのか。
答えが出そうで出ない
つかえが残るまま
過ごしてきた
頭が痛い。薬を飲んでも効かない。病院で診てもらってもわからない。
治らない痛みを言い続けていた友人に
自分は鎮痛剤で治るからと気楽に世間話程度で返していた。
あの時、もっと精密検査を受けてみたらと心配してあげていたら。
ずっとまだまだ今だって時々会って色んな話をしていたはず。
何でも出来て相談にのってくれて大人で。
友人だなんておこがましいかも。
尊敬していた。あんな素敵な友人がいる自分が誇らしくもあった。
失ってから今も完全な答えは出ていないけれど ごめんねじゃないよね。
いつか私がそちらに行ったら
ありがとうと伝えるし話したいこと
これからもできるかもしれないでしょ
一緒に笑って話そうね。
半袖が好きだったデブ時代
冬でも半袖を着ていた
痩せた今、半袖じゃあ寒いかもと上着を用意する。
また明日が来ることは当たり前じゃないんだっけ。
大切な家族、夫、ゆい、息子達、会わなくても何時も心にいる両親
毎日を大事に過ごすことがどれほど素敵なことか。
自分は自分の人生を生きればいい