意味がないこと
かもしれないと思う事(起こらない事が多い)
子供を怒る事(怒っても子供はわからない)
作り置き(していてもなくなってしまう)
果物や野菜を買う(時期の物は流れてくる)
でもしているじぶんがいる。
あなたとわたし
あなたとわたし。わたしとあなた。
あなたがわたしでわたしがあなた。
全然見た目が違うあなたとわたし。
価値観も少し違うあなたとわたし。
それでも一緒にいる。
これからもよろしく。
柔らかい雨
雨を柔らかいと感じた事がない。悲しいときに打たれる小さな雨でさえも私に突き刺さる。私が悲観的な人間だからだろうか。
一筋の光
今の生活で一筋の光はなんだろうと考えてみた。お義父さんが半年前に会社が倒産して2.3ヶ月経った頃から「おかしいどうすればいいかわからん」と言うようになり診療を受けると急にする事がなくなって適応障害のような診断を受ける。実家では、一年前から「どうすればいいかわからんなった」とおばあちゃんが認知症状が出てきた。親は、働いている為おばあちゃんはひとりで留守番している。私も働いているが、変則勤務で平日の日中に家にいることも多々ある。どこに行っても一緒なような事を何回も聞かれ疲弊する。今の状態を打破できるような妄想をしているが中々思う通りにすすまない。病院について行って話を聞いて、誰も部屋の片付けをしないから俺がしないとって思っていると聞けた。じゃあ一緒にすればいいと一筋の光が見えたように感じた。
でも、お義父さんの受診をお義母さんに、一緒に行って欲しいと話すも「いやだ」「イライラするから」と拒否される。まだまだ前途多難。
哀愁をさそう
聞いた事があるが使った事が無かった。意味も感覚だけで悲しいきもちになる言葉と理解していた。今回、調べてみると「もの悲しいきもちにさせられる」と言う意味である事を知った。悲しい気持ちではなくもの悲しい気持ち。
次は、もの悲しいの意味もわからない自分に知識が無いなと感じる。もの悲しいも調べると「なんとなく悲しい」という事だった。もの=なんとなくになる理由がわからないとぐるぐると頭の中で考えている自分に笑いが出てくる。
本題の自分の中に、最近哀愁をさそうを使う瞬間を思い出す。おばあちゃんをコメダ珈琲に連れて行った時、子供の頃におばあちゃんが喫茶店に連れてってもらった事を思い出した。