ひりり、ひりり、ひりり
わたしの心は柔らかすぎるのか、誰とぶつかってもひりひり痛む擦り傷を作る。
ひりり、ひりり、ひりり
15歳の頃、仲間はずれにされたことがある。
未だに思い出すと心臓から左親指にかけてギュルルとなにか電流のような痺れがくる。当時のわたしにも本当に苦しくて悲しい経験だった。
きっかけは、なんだろうか。ただわたしが少し変わっているから、そんな理由だった気がする。ほんとうに、些細なことだ。
仲間はずれを感じた物事も、ほんとうに、覚えていないほど些細なことだ。
ぼうっとしていたら、仲間はずれは気づいたら終わっていて、またいつも通り"友達"と楽しく、卒業式までの短い時間を穏やかに過ごした。
そして卒業式、厳かな空気の中、冷たいパイプ椅子の上でそんな些細なことを思い出して気になってしまったわたしは、中学校の卒業式を逃げるように帰って行った。
友達と写真も撮らず、誰とも話さず、人集りができている門をするりと抜けて、短い通学路を早足に歩いた。
階段を登って、当時住んでいたボロアパートの玄関のドアを閉めた時、足元がぐらりと揺らいでその場で座り込んだ。
今はもういない老猫が、玄関に座り込むわたしに喉を鳴らしながら白い毛を擦り付けた。
涙は出なかった。でも、このままわたしは一生、ひとりといっぴきの仲間はずれなんだなと悟った。
10年経った。
今でもわたしの仲間はずれは続いている。あの頃の友達とは誰とも関わりはない。卒業式の日に全員連絡先を消したから当然だ。これまでも、これからも、わたしは一生仲間はずれだ。それを選んだ。
わたしの仲間だった老猫は、3年前に一足お先にと旅立って行ったが、代わりに真っ黒な子猫を置いていった。
真っ黒な子猫は、真っ黒な大人の猫になり、あの頃の老猫のように優しくも賢くもないが、それなりにわたしの仲間として、喉を鳴らしながら黒い毛を擦り付けてくる。
この子が仲間でいてくれるうちは大丈夫、そう言い聞かせながら、今日もひとりといっぴきの仲間はずれは続いていく。