いつまでも捨てられないもの
夏の夜特有の不快で生温(ぬる)い湿り気を帯びた風が身体にまとわりつく。
そこに時折潮の匂いが混じる。
キミは細く長い指先で鬱陶しそうに前髪を払った。
イラついた時にするその仕草がボクの胸をチクリと刺す。
キミのターンを待っているボク。
その一挙手一投足をただただ息を詰め、見守っている。
空の上に間近に飛行機が飛び交うことで知られるこの公園は、いつもなら子連れのファミリーやカップルでいっぱいだ。
轟音と共に飛び去るジャンボ機の膨れたお腹を見上げる子どもたち。
嬉々とした歓声がそこここで上がる。
遥か向こう岸には、教科書で習う京浜工業地帯が要塞のように鎮座し、数多(あまた)の細長い管からひっきりなしに白煙を吐き出している。
いつもならそんな光景が目の前に広がる場所だ。
しかし、今目の前にあるのは重苦しいほどの沈黙だけ。
深夜2時半。
まるで流刑地のようなこの場所にふたりは辿り着いた。
ボクたち以外に人影はなく、空も静かだ。
不謹慎にも工場群の目映い夜景に目を奪われた。
水面に揺蕩(たゆた)う色彩のグラデーションが場違いなくらいに美しい。
その色とりどりの瞬きを目にしているうちに眠っていないのがボクたちだけではないことを気付かされる。
何かを生み出すためのあの陽炎のような刹那の瞬きに、ささやかでいい、希望を見い出せたら良いのだけれど。
最後の最後にそんな未練がましい思いが頭をよぎる。
何度も何度も湧いては振り払ってきた、自分勝手で都合の良い解釈だ。
ボクの気持ちはすでに決まっている。
どんなに言葉を尽くしてもキミには到底伝わらないことも。
発した言葉が次々と砂のように掌から零れていってしまう空虚さにも、もうこの先耐えられそうにない。
あとはキミの気持ちがボクと同じならば、晴れてボクたちは楽になれるのだ。
もうこれ以上傷つきたくはない。
それがボクの本音なのかも知れない。
背の高いキミの長い腕がボクを背後から絡め取る。
キミの匂いと混じりあった香水の香りがボクをその場に縫い留め、動けなくさせる。
たったこんなことであっけなく戻ってしまうキミへの執着にも似た愛情が、歯痒くて、悔しくて、ボクは涙を堪えられなくなる。
こんな理解不能な歪んだ感情にいつまでボクは囚われているのだろう。
いっそのことすべて捨ててしまえたらいいのに。
ボクにとっていつまでも捨てられないもの。
それはキミとの繋がり。
お題
いつまでも捨てられないもの⠀
誇らしさ
毎朝鏡に向かう。
ライト付きの女優ミラーだ。
サイズは卓上式で小さいけれど。
うん。今日も肌の調子は悪くない。
眉間の2本の横ジワは相変わらず健在。
頬の高い位置にあるシミは最近少し濃くなっている。
以前はシャープさが自慢だった輪郭もたるみのせいでぼんやり気味。
思わず目を背けたくなる現実がそこにある。
でもそれはそれ。
今日の自分と真っ直ぐに向き合うと決めている。
野菜をたくさん食べる。
たんぱく質も適度に。
油物は極力控え、忘れがちな食物繊維やミネラルは時々思い出したようにまとめて食べることもあるけれど。
悪魔(娘)の甘いもののお誘いはほんのたまーに付き合う程度。
そのせいで娘はいつも不服顔。
お風呂はとても好き。
湯船にも毎日浸かる。
週1で毛穴クレンジングとボディスクラブ。
最近は韓国アカスリも新しくルーティンに加わった。
お陰で忙しい。
寝る前はストレッチを欠かさない。
時々は筋トレも取り入れて。
好きなYouTubeを見ながらの完全自己流ながら運動ではあるけれど。
だいたいはお笑い動画を見る。
爆笑に次ぐ爆笑。
そしてさらにシワが増える。
睡眠はたっぷり。
決して他人様には言えないくらい毎日しっかりと寝ている。
何なら昼寝だってする。
寝ることが好きなのは、昨年米寿で鬼籍に入った父親譲りだと自負している。
日焼け止めを塗る。
リキッドファンデとパウダーで肌を整える。
コンシーラーでさらにシミを消す。
マスカラと眉毛を描いた辺りでやっと一安心。
今大地震が来ても外に飛び出せる。
アイシャドウとアイライン、チークにリップ、でフィニッシュ。
自分でも驚くほどの美魔女になっている。
これだから女は怖い。
髪をアイロンで伸ばす。
クリームをクシュクシュ揉みこみオイルでツヤを出す。
仕上げにむせるほどケープを掛ける。
犬がクシャミをする。
クローゼットを開けてワンピースを選ぶ。
下着は上下お揃い。
最近すべてレースのものに買い替えた。
CHANELのスカーフを肩から羽織る。
靴とバッグはいつものお気に入りのものを。
人を嫌うことはあまりない。
どちらかと言えば、だますよりだまされる方だ。
でもそれでいいと思っている。
誇らしさとは、今日も私のままで生きていくということ。
お題
誇らしさ