何故、毎日勉強する?
何故、毎日労働する?
誰に言われて、そんな事している?
何故、好きでもない事を、毎日毎日狂ったように続けている?
一体何故?
全部、大昔の支配者達のせい。
支配者達は、沢山のお金を手にしても、何不自由無い暮らしを手に入れても、すぐに飽きた。退屈になった。
何か、変化が欲しかった。
でも、何かする度にみんなすぐに文句を言って暴動を起こす。
それじゃあ、困ってしまう。
なら、みんなにはずっと同じ事をさせよう。
毎日同じように勉強、毎日同じように労働。
みんなにも苦しい思いをさせれば、幸せな奴なんて作らない。
みんなで、退屈な人生を過ごそう。
そう思った。
でも、退屈な人生なんて、みんな嫌だった。
パラダイムシフトだ。
変わるには、そんな支配者達を全員倒してしまえばいい。
ぼく達だけの、新しい世界を創るんだ。
さあ、全て恨もう。
人間も、世界も、全て。
世間が楽しんでいるイベント事。それを楽しめない私たち。
しかし、そうだとして何を恥じる必要があるのか。
もっと、堂々と生きていれば良い。私たちこそが主役なのだから。
こう考えてみよう。クリスマスに出かける人間は、意味もよく分からないイベントに無駄なエネルギーを使うおバカな人間だ。
それに、皆本当に楽しんでいるのか。
否、クリスマスなど呪縛である。そんな呪縛に囚われ、ある種の洗脳にかかり、動いている。
自我の崩壊である。
と考えると、さも私たちが賢人であるかのように錯覚する事が出来るではないか。
こんな思考をする陰湿な楽しみ方も、クリスマスにはあって良いのでは?
人間は、今まで様々なイベントを生み出した。それは地域ごとに異なっているが、時に遠くの地から伝わるイベントもある。
元々、イベントとはその土地の特性に合わせた意味のある事柄であるはずだ。
しかし、何百、何千、何万年と時を経るうちに、人々は元々の意味などとうの昔に忘れてしまったのだ。
そうして、かつての技術や文化が滅びた世界には、もはやイベントとは退屈な人生を紛らわせるための道具になってしまったのでした。