嵐が来ようとも
この体で 素敵な心で 乗り切って見せよう
この人生 辛くなったら 立ち止まっても大丈夫
嵐は止むのだから 嵐を起こしているのは私かもしれない
この心は嵐のように 荒れて 大胆だから
花火が上がるのってだいたいお祭りの時だ。川の向こうで打ち上げ花火と祭りが開催されているらしい。
わたしは仕事から帰宅して缶ビールを呑んでいる。おつまみは近所のスーパーで買った枝豆。シンプルイズザベスト。美味しい。打ち上げ花火はここから見えない。それが残念だが、音は聞こえる。その音を聴きながらの晩酌は最高だ。いや、少し物足りない。
ホワイトベリーの「夏祭り」を思い出す。今頃中高生や子供を連れた家族が花火を楽しんでいるに違いない。自分にもそういう甘酸っぱい思い出があれば良かったが、呑みながら思い出すのは今日のこと。呑んでよく寝て、明日に備えなければならない。
目が覚めたのが少し早かったようだ。耳元で、花火が残していったあの音がかすかになったような気がした。昨日のことが幻のように感じた。ここで、私は涙を流していたことに気づく。わたしの夏が過ぎてゆく。
神様が舞い降りてきてこう言った。
自分のこと愛してる?大事にしてる?
相手のことを考える余裕ある?
幸せにしたいと思える?
今のわたしならこう答える。
ちょっと余裕がないな。でも自分が少しわかるよ。
ぶらぶらと家の近所を歩く。鼻歌でも歌いながら。
ふーんふーんふふふんふん。
鼻歌は最近聴いている曲に変わる。曲の流行り廃りって早い。あれよあれよと毎年新しいアーティストが話題になる。好きになったアーティストが音楽番組に呼ばれ、全力で演奏する姿は見ていて気持ちがいい。カメラワークも天才的でバッチリ。あとは、家で歌手と一緒に歌う。それが、音楽番組の醍醐味じゃないだろかと、1人歩きながら考える。
誰かのためになるならば、わたしは歌を歌う。テレビに出て歌うなんて大それたことだと思うからそんなことは望んでいない。きっと簡単なことじゃないし。
家路に向かう曲がり角に着く。
結局、「誰か」って自分も含まれてていいと思う。私はわたしのために歌う。
学生の頃、好きになったのは国語の先生だった。
好きなところは、声。部活の顧問として話す時と、授業をするときの声が少し違うのが面白かった。学生の頃はバスケットボール部に入っていたらしい。だから身長はそこそこ高い。なのに、今は文化部の顧問をしている。出会いは部活動だった。
話は変わるが、わたしが好きになった人の遍歴で唯一メガネをかけている人だった。
私の友達になる人はメガネをかけているか、目が悪くてコンタクトをしている人ばかり。
あの人は丸渕メガネをかけていた。ハリーポッターみたいで憧れた。目が悪くない私にとってメガネは縁遠いものだった。
18歳で成人という話題にあの人はこう答えた。
「早いね。20歳からお酒とかタバコとか吸うことがで
きるのに。18では大人とはいえないんじゃない。」
あれから5年が経った。先生、先生の言う大人になったよ。
作詞:上原大史
「強くなった今 あなたに会いたい いつかまた
どこかで会えたら 大人になった私見てください」