夢と現実
夢はほぼ毎日見ていますし、どんな絵を見たかもある程度覚えています。
正夢のように夢で見たかもと思うような現実もあります。
という出だしで始まりましたが、ちょっと脱線を。
さっき衝撃の事実を知りました。
ここのハートマークは、おひとり様1回なのかと思っていたのですよ。
なので私へのハートマーク=お気に入りにしてくれた人達と勘違いしておりました。
お気に入りしておけば、同じ人が何回もハートマーク送れるんですね。
ということは、もしかしたらですよ。
数百人が押してくれていたのではなくて、数人の精鋭さんが日々連打してくれてる可能性が出てきたわけです。
もうね、ケーキ奢ってあげたくなりました。
もうね、自分に熱心なファンがついてくれたんじゃないかと。
ファンに手を出しちゃいけないアイドル的不文律があるかもしれませんが、そんなに連打してくれてるなら、お茶くらい奢ってあげたくなるじゃないですか。
せめて、せめてですよ。
今日のお題にもある、夢の中に登場してもらって、日頃の感謝をお伝えしたい!!
無理でしょうね笑
ではここで一言お礼を。
いつもありがとうございます!!!
できれば感想を個人的にこっそり送ってもらいたくなりますが、そこは我慢するとして。
読むの疲れてませんか?
無理しちゃダメですよ。
どこぞの投稿サイトみたいに、いいねは10回押せるとかできるみたいですけど、連打して指痛めないようにして下さいね。
できれば押してくれている人達をお気に入りに入れて、日々のお題を読んでみたいものです。
自分とどう違う作品を書く人が押してくれているのか興味あるじゃないですか。
恥ずかしがらずに教えてもらえるとうれしいなぁ。
という願望も乗せつつ、お礼とさせていただきます。
ということで、夢に出てこないであろう精鋭さん達へのお礼の場を勝手に設けてみました。
モチベーションになるんです。
お題更新する時間後にアプリを開いて、左上にハートマークがついていると、あぁ誰かには刺さってくれたんだなと。
ひとりだけでも嬉しいのに、数個もハートマークが増えているともう小躍りしかねません。
ありがたいことです。
夢なのか現実なのか、たとえ少数精鋭でも多くの群勢でも。
夢でも現実でも、読んでくれている人がいる。
できれば現実であればいいなと思いますが、夢であってもかまいません。
誰かがどこかで楽しんでくれているのであれば。
その楽しさが少しでも、読んでいる人の笑顔に繋がりますように。
ちょっとどころかほとんど脱線してましたね笑
安全運転での脱線なのでお許しを。
さよならは言わないで
そのままフェードアウトの音信不通。
それがここ20年くらいの人付き合いでしょうかね。
電話なら着信拒否、メールなら受信拒否、TwitterやLINEならブロック。
これむしろありがたいんです。
やり取りしたくないんだな嫌われたんだなと分かるじゃないですか。
ホッとします。
だってですよ。
突然でなくても、反応ないままが続くと心配になるじゃないですか。
体調悪くなったのか?
スマホ落としたとか?
すみません。
皆さんからしたら恐怖のストー〇ーな発想らしいですが、そういうところがズレているものでして。
そういう意味でも、さよならは大事です。
言わないでと言わず、ぜひ言ってくれと。
。。。
ん?
さよならは言われないほうがいいでしたね笑
とはいえ、社交辞令のまた今度よりはいいでしょう。
さよならは言わないでと言われましても、嫌なものは嫌なんです!
そのくらい気が合わない相手もいることでしょう。
挨拶って大事ですね。
その挨拶すらしたくないと思われるとは、お前一体何したんだと自分と問い詰めたくもなりますが、最近は挨拶しないのは当たり前な人が増えているそうですよ。
なんだか寂しいものです。
光と闇の狭間で
これはいわゆる厨二病というやつでしょうか?
物語でも書けと言わんばかりのお題に感じますが、ちょうど私が思っていることがあったので、書いてみようと思います。
実はですね。
私、人付き合い苦手なんです。
知ってたって!?
でもほら、初めて私の駄文を読んだよっていう人なら、こいつ変なやつとまだバレてないじゃないですか。
実は人付き合い苦手なのもさることながら、基本的に仕事以外で誰とも会うことなく過ごしています。
もちろん買い物とか散歩とか、出かけてはいるので、他人様とすれ違うことはありますが、誰かと会うとか一緒に出かけるとかはありません。
ああ、人付き合い苦手だからなのね。
ではなくて、会う相手も出かける相手もいないんです。
いわゆるぼっちが続いてまして、ぼっち歴数十年。
なので、十数年ネットで知り合いや友達募集をしていますが、まれにはじめましてする相手と知り合えたとしても、知り合いになる前に終わるレベル。
コミュ障ってやつです。
なので、よくて1年に1度誰かと会えたらいいほう。
わるくて知り合うとかやり取りする相手すらいないまま1年が終わる。
そんな感じなんです。
昨年今年と、あるアプリでお手紙というやりとりをする機会があったので、ありがたくも数人とやり取り出来たという、人生で最高レベルの充実感を味わっていたものです。
とはいえ、あくまでそのアプリ内でだけの交流。
離れてしまった今は、また誰とも接しない日々に。
その状況で今年も残り1ヶ月。
このまま今年も誰かと会うことなく終わるなと思っていた感じの昨日。
はじめましてさんと会うことになりました。
ひとまず今年の目標、【誰かと会う】は達成されました。
もちろん仲良くなれたらいいなとは思いますが、今回も友達どころか知り合いにもなれそうにありませんでした。
それは違う。
会っていた2時間の中で、何度か言われました。
私がズレているのは自他ともに認める事実なので、言われたことは問題ありません。
ただ、相手は違うと思えるこいつ(私)と仲良くしたいかと思えば、思わないでしょう。
世間と違う自分と違う、そんなズレたやつと接していても、ただただ接しにくいだけですからね。
帰り際の駅でも、ありがちな社交辞令の「また会いましょう」すら言われることなく、お互いありがとうとだけ。
毎回そんな感じです。
日々の駄文を読んでくれている人なら分かるでしょうが、ズレている以上に面白味ないやつなんです。
せめて見た目だけでも、というのもありません。
そもそも、知り合いや友達候補は見た目よりも相性でしょうしね。
私は2時間楽しかったなあ、誘ってくれてありがとう。
それしかありません。
相手はどうか知りませんが、気が合わないから違うと何度も言っていたのでしょう。
帰りの電車でお礼のメッセージを送りましたが、返事はないままもう半日。
また普段の日常に戻ることでしょう。
はじめましてでお茶のお誘いをされ見えた光と、別れた後もログインのランプは点いているのにメッセージに反応はない静かな闇。
光と闇の狭間でこれを書いている私。
今日も今日とてマイペース。
一瞬波立ったものの、すぐに静かな日々が戻ってきます。
つくづく人間でよかったなと。
これが植物なら、光がなさすぎてとっくに枯れていました。
とりあえず、寝ましょ。
距離
ネットは距離を感じます。
えっ?
ネットは距離感じなくていいんじゃないの?
たしかにそうではあります。
地球の裏側の人ともその場でやり取りできますから。
これを読んでいるそこのあなた!
どちらにお住まいですか?
いえ!言わなくても大丈夫。
きっと地球のどこかにお住まいなのでしょう。
鈍感な私でもそれくらいは分かっていますとも。
とはいえ距離は感じておりますよ。
たとえあなたがうちの隣りにお住まいだとしても、ブラジルの人聞こえますかーでも、距離は一緒です。
逆に、えーっと、今スマホを見ているあなたにお聞きします。
私との距離を感じますか?感じませんか?
ちょっとそこのあなた!
うわっ!こいつ話しかけてきやがった!
めんどいやつだなって思ったでしょう!
そういうとこですよ、距離を感じるっていうのは。
返事が一切返ってこないのを分かっていながら、さもいるかのように問いかけているこちらの身にもなってください。
きっと虚しくなりますよ。
まだまだですね。
こういうのは慣れです。
話しかける相手がいないと、イマジナリーフレンドじゃないですけど、ぬいぐるみとか身近なものに話しかけたりし始めると思います。
それが進むと今度は想像で、今目の前にはいない現実や架空の相手に問いかけるようになります。
さらに進むと私くらいになるでしょう。
さも相手を想定して話しているかのように見せかけて、実は誰もいない前で実演販売やっているかのように話しかけられます。
相手なんて想像していません。
気づけば話しかけている口調になってしまうのです。
まさに語り部。
モノローグってやつですかね?
距離すごく感じます。
私だけ別アプリから投稿してるんじゃないかと思えるくらい、場違いな駄文を書いている気分です。
皆さんはこの場に集まって、お互い無言で作品を読み合いしながら、そっと最後の白紙ページにお気に入りシールを貼っていくイメージです。
私はその光景を窓の外から眺めては、無言の輪に入って脇腹つついてみたくなるとか、絶対に怒られるようなことを考えることでしょう。
ふざけてるつもりは一切ないですが、そういうこと考えるしやりたくなるんです。
距離感じる、というより距離取りますよね笑
こんな中身のない終わりも悪いのでひとつ。
知ってました?
距離を掛かった時間で割ると、なんと速度が出るんです!
なんと!知ってましたか!
さすが皆さん博識なことで。
私も遠い昔に習ったような気がしていましたが、まだまだみなさんほどではないようです。
サッと駆け抜けていく皆さんの背中を見ながら、えっちらおっちら歩いていく私。
この距離はどこかで縮まるものなのか?
いいんですよたまに休憩されても。
もし休憩中に私が追いつくようなことがありましたら、お茶でも飲みながらお話しましょうね。
泣かないで
ダメです。
もう頭の中がトレンチコート着た舘ひろしで占領されています。
お若い方すみません。
そういえばわたし世代間の通じない話題が多い気がします。
あぁでも、舘さんは最近だとゴールデンカムイとか出てますし、知ってる人もいますかね。
歌手だったことは知らないかもしれませんが。
クールス懐かしいですよね。
とはいえ世代では無いので名前だけしか。
個人的には泣かないでよりも、青い山脈88のほうが印象深くあります。
某ラジオのリスナーなものですから笑
ポッドキャストも毎週聴いています。
舘ひろしは置いておいて、泣かないでと言われたことは数回だけかなと。
子供相手にはよく言います。
泣きすぎると頭痛いとか吐いちゃうとかありますから、気持ちを落ちつかせませんとね。
大人相手は逆に泣いてもらう気がします。
デトックスですよ。
思うままに泣いてもらって、モヤモヤも一緒に流してもらえたらいいなと思いますので。
せいぜいするとしたら、背中を擦るとか泣き顔冷やすのに冷たいタオル渡すとかくらいでしょうか。
暗くなるようならくすぐってみるとか、笑えそうな話するとか。
でも私つまらん奴なので、そういうの大の苦手で困ってしまいます。
泣き顔もいいですが、やっぱり笑顔が一番好きです。
相手を笑顔にさせられたらどれだけいいか。
永遠の課題であり、叶わない難題でしょうきっと。
とっさに泣かないでと言われて気づく。
そうか、私泣いてるんだ。
無意識に泣いている自分にようやく気づき、心配してくれた相手にお礼をする。
そんなシーンは妄想も妄想。
でもなぜでしょう。
誰かが泣いていると、わけもなくそばにいたくなります。
涙で潤いを得ようとしているのか?
それとも浸透圧で乾いている自分が引き寄せられているのか?
どうせ妄想ならば、実は相手のほうが自分に寄ってきていて、慰めてほしいという無意識行動なのかもしれない。
そう思ってもいいだろうか?
キモいぞ!!
皆さんの心の声を先に代弁しておきました。