宮部幸(みやべこう)は自分の名前が嫌いだった。
『幸せに溢れるような人生を過ごせますように』そんな願いを込めて祖父母がつけてくれた名前だ。込められた願いも、『さち』や『みゆき』ではなく『こう』と読むのも素敵だと思う。勿論、祖父母と折り合いが悪くとかは決して無い。それでも幸は自分の名前が嫌だった。正確には、名前というよりも『幸せ』という単語そのものが怖く感じるのだ。
生を受けてすぐ父に母と共に捨てられ、体の弱かった母は産後の肥立が悪くあの世に旅立ってしまった。その後病院から連絡を受けた祖父母が幸を引き取ってくれたのである。母は由緒正しいお家柄の出身で一族の皆に大層愛されていたらしい。そんな母の忘れ形見だと母の兄弟は可愛がってくれ、厳格な祖父母は時には厳しく時には優しく躾けてくれた。しかし、親戚の中には母の面影が少ない幸に対して、母を捨てた男に似た上に殺したくせに祖父母にお世話になるなんて図々しいと言うものもいた。確かに、父に似ている自身の世話をしている祖父母には申し訳ないと思うこともあった。特にその当時は祖父母が褒めてくれることもあったが、時々幸に対して壁を作っているように接することがあったため尚更申し訳なく感じていた。程なくして、親戚の言葉が叔父から祖父母の耳に入り、陰口を叩いていた親戚に二度と敷居を跨がせないと宣言するまでは幸と祖父母の間の壁は埋まらなかった。祖父母が親戚の非礼を謝罪してきた際幸は戸惑い、思わず胸の内をこぼした。しかし、祖父母は慌ててそんなことを思ったことはない事、厳しすぎて嫌がられていないか距離感を測りかねていたことを教えてくれた。先にも後にも祖父母が取り乱した姿を見たのはその時だけだった。その際に名前の由来も聞いたのだ。それからは母の話を祖父母から聞くことが増えた。
しかし、母の話を聞けば聞くほど、どれ程母が愛されていたか突き付けられているようで幸の中にあった恐怖心は大きくなっていった。そんな経緯があったのに幸だなんてまるで皮肉みたいだったし、母の分まで幸せにならないといけない様な義務感を幸は感じてしまっていた。考えれば考えるほど望まれている「幸せ」とは何なのか分からずいつからか、幸は『幸せ』に対して恐怖感だけではなく嫌悪感を感じるようになってしまったのだ。誰にもそんなことは言う訳にはいかないし、言う必要もないとは思っている為、幸自身の中だけの話ではあるが。
宮部幸にとって名前は最初にもらうプレゼントではなく枷であり、「幸せ」とは呪いになってしまったのだ。