忘れたくても忘れられない。傷つけられてきたのにその分をやり返せないまま呪いに囚われている。きっともうあの人は私のことなんか覚えてないだろう。
じゃあもうそろそろ私も忘れようじゃないか。呪いをかけられたままなんて割に合わない。
少し口角を上げて、今日は何を食べようかななんて考えて、嬉しかったことを思い出してみよう。そしたらいつのまにか呪いは解けて初めてこの世界をみて目を輝かせたまっさらなあの頃のわたしを見つけてあげられる。
通り雨
「はい、じゃあ気をつけて帰れよー」
キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン
森先生の号令と共にクラスメイトはそれぞれの放課後の場所に行く。私はというと、特に用もないのでそそくさと下駄箱に向かう。
「うわー雨降ってる。降るならもうちょい空気読んで私が駅に着いた時くらいに降ってよぉ…」
なんて叶いっこない願いをいつもしっかり考えてしまう。こんなとき「傘入ってく?」なんて言ってくれるイケメン男子がいてくれたらと小学生くらいまでは思っていたけど現実はそう甘くはないことを高校生になった私はよく知っている。
「藤沢、今帰りか?」
お!諦めかけていたけどついに私にも春が…!いや、これは森先生の声だ…
「はい、でも雨降ってきちゃいましたー」
森先生は去年大学を卒業したばかりの新人教師なのでなんだか話しやすい。明るくて面白くて積極的に生徒と関わろうとしてるところも理由なのかもしれない。みんなも森先生だから面白おかしくグリーンティーチャーなんて呼んでいる。
「まじかーちょっと職員室に貸せる傘あるか見に行ってくる。待ってて」
そう言って走っていってしまった。
「あ、ひよりー今帰り?」
振り向くと幼なじみのけいちゃんが下駄箱から見える中庭から手を振っていた。部活をやるはずが雨が降ってきたから今は休憩中らしい。
「うん!でも雨降ってるから帰れなくて…森先生が職員室から傘取って来てくれるって言ってた!」
「まじ?私、前職員室に傘借りに行こうと思って行ったけどうちの学校は傘貸してないって職員室の先生に言われたよー?」
「えぇ〜じゃあ私帰れないじゃん…」
「貸せるのか貸せないのかわからないのに走っていくのは頭より体が先に動く森先生らしいわ。まぁなんとかして頑張れ!」
けいちゃん、めっちゃ他人事だ…意地悪な笑みを浮かべて部活に戻ってしまった。
それから何分か経って森先生が走って戻ってきた。
「森先生、わざわざありがとうございました。でもな…」
「傘あった!めっちゃあった!」
えぇー。この人は何を言ってるんだ。まさか他の先生の借りパクしてきたんじゃ?わたしが怪訝そうな顔をしてると焦ったように弁解してきた。
「いや違うよ?借りパクってないよ!まじで!コンビニとかで安いビニール傘だからって持っていくやつ俺嫌いだし!」
あまりにも真剣に弁解するもんだから思わず笑ってしまいそうになる。
「とにかく、今日はこの傘で帰って!絶対非正規の方法で手に入れた傘じゃないから!本当に職員室あったから!」
「ふふ、分かりました。先生が頑張って探してくれた分この傘でしっかり帰ります!」
「よし!それでよろしい!」
森先生から傘を受け取り校舎から出る。
傘を開いてみると緑色のビニール傘だった。「珍しい、こんなのどこに売ってるんだ?」なんて考えてると黒い小さなテープみたいなのに気づいた。ん?これなんだ?気になって少し剥がしてしまった。
「森章太郎」
ハッとして先生の方を振り向く。先生はただ笑顔で気をつけて帰ろよーなんて言っていた。
「先生は傘なくてどうするんだろう。あ、そういうことを考えさせないためのテープだったのか。なんか悪い事したなぁ。」
お気遣いありがとうございます!と言おうとしたけどなんだか声が風邪みたいに詰まってしまった。おかしいな、まだ雨に濡れてないんだけど…
鼻歌を歌いながら歩いていたらいつもは遠く感じていた駅に着いていた。そのうち雨も弱くなって太陽が雲の陰から光を差した。よかったこれで森先生も帰れるだろう。
雨はいつも憂鬱だ。セットした髪はうねるし、靴下はいつのまにかびしょびしょになる。でも今日は雨でも嬉しい。平凡な日常にわたしにとっての小さなドラマを与えるなら通り雨は大歓迎かもしれない。
秋が来ると私は寂しくなるどころか本領発揮する季節が来た!と意気込む。春は始まりの季節なんて言われるけど忙しくて自分の本当にやりたいことなんか始める余裕がない。夏は暑くてやってらんない。汗が張り付いた服のままでやる気なんて到底起こらない。汗をかかないことに徹するので手一杯だ。人間も動物だ、天候に左右されることは恥ずかしいことではない。となるとやはり、秋が私のなかでは始まりの季節だ。一年の半分が終わってしまった、まだ今年何もできてないなんて考える時期ではない。一年の半分を生きてやっと慣れてきて安心して自分のしたいことに身を置ける。そして芸術の秋、読書の秋という言葉も秋が何かのスタートになるということを想起させる。秋は寂しい季節ではない、始まりの季節だ。