1/6/2025, 2:17:22 AM
救急車で1時間もかかる遠くの市民病院で受け入れられた。京都大学を出た若い脳神経外科医師と脳神経外科の部長が優秀だと噂の病院だった。
病院に搬送されて、すぐ父は手術をするか否かの選択決定を母が独りでしなければならなかった。
手術をしたとしても、意識が回復する保証は無い。手術をしなかったとすれば命は無い。そのように提示された。母は手術を選んだ。私が京都市内からその日の授業を欠席し、病院へ駆けつけたときに既に手術は始まっており、終わったのは9時間後だった。
担当の脳外科医はフラフラになって手術室を出てきた。ひとまず命は取りとめたものの、意識がいつ戻るかと言うことについては、全くもってわからない。そのように告げられた。
当時は介護保険制度と言うシステムも言葉もなく、入院期限は3ヶ月と言う縛りもなく、父の病状からすると退院の目処どころか、リハビリ開始の目処すら立たなかった。意識がなく、首の座らない幼児のように目をつぶったまま、車椅子に座らせ頭部ががっくり、後部に落ちそうなほど傾いている状態であっても、
11/9/2024, 5:56:29 AM
あの冷酷な彼、あれから少しは優しい人間になったのだろうか。
土産は買う人の自己満で、もらう人のためのものじゃないと言った。
旅に行ってきましたと半ばひけらかすかのように、行かなかった人へ報告するモチーフ。
行ってない人にとって、なんの思い出もない土地の名産品をもらって、さほど嬉しいもんじゃあない。
そう言った。
正論かもしれないけど、寂しい、冷たい心だという気がした。
決定的な硝子が割れる音がした決定的な瞬間は、
10/26/2024, 10:13:39 PM
朝陽が差し青空が見える。
やっぱり私は晴れ女!密かに低い胸を張る