「きっと明日も」
「きっと明日もいい日になる」と思える日よりも「きっと明日も悪い日だ」と思うことが増えるようになったのはいつからだっただろうか。
最近になってやっといい日とも悪い日とも言えないような毎日を過ごすようになってきたのは、悪い日が減ったというよりは悪い日のハードルが高くなっただけだと思う。
かと言っていい日のハードルが下がったわけではないんだけれど。
まだ18で「歳を重ねる」という表現をすると上の世代の方々から叱られそうだが、歳を重ねていくうちにいい日のハードルは上がっていく気がする。
ユーミンの「やさしさに包まれたなら」の歌詞に、『小さい頃は神様がいて不思議に夢を叶えてくれた』とあるが、大人になるというのはこの『神様』の存在に気がつけなくなることではないのだろうか。
この『神様』は『毎日愛を届けて』くれていた。
もしかしたら今も、夢を叶えて、愛を届けてくれているのかもしれない。
いや、きっとしてくれているのだろう。
私達が気が付かなくなっても、『神様』は私達の小さな夢を叶え、私達に愛を届けてくれているのだ。
歌は『優しい気持ちで目覚めた朝は大人になっても奇跡は起こるよ』と続く。
今となっては憂鬱な気持ちで起きたり、何かに急かされて起きたりすることが多くなったが、小さい頃、そんな事があっただろうか。
まあ人によるとは思うが、私は毎日優しい気持ちで目覚めていた気がする。
起きたら1階から温かな朝食の香りがしていた。
お日様がのぼって、寝室を明るく照らしていた。
ベランダの近くの電線に、小鳥がとまって鳴いていた。
そんな小さな“愛”を私は毎日新鮮な気持ちで受け取っていた。
この“愛”が当たり前になった時、私達は大人になってしまうのだろう。
試しに今日の帰りは鼻歌を歌ってみようか。
歩道橋の上から星空を見上げてみようか。
そしたら、もしかしたら、「きっと明日もいい日になる」と思えるかもしれない。