へぇえ、耳って「澄ます」ものだったのか。
はじめて知った!
じゃあ、私たちが日々聞いているものって、生活音って
濁っているんでしょうか。確かに、雑音と呼ばれるのは遠くの音が混ざり合ったノイズのこと。
地上はうるさいね。すべてを拾っていたら、きっと頭がきーんと痛くなってしまう。自分にとって必要ない情報が多すぎる社会です。みんながみんな真面目だったら、
「聞く」の他に「聴く」なんて漢字は生まれないね。
耳を澄ますのは疲れるよ。人の話を聴くのも疲れるよ。
最初から聴きたいものを決めて、イヤフォンから直接
流し込んでしまうのが結局いちばん楽だ。
コンサートとかライブみたいに、
「さぁみんなこれをきいて!」って用意された音に身を預けるのはだから幸せなんだろうな。
結論。
意識的に耳を澄まさずとも、強制的に飛び込んでくる
音が、私の心を揺さぶるものであればいいな。
・・・ん?
だとすれば、そっか、じゃああれもおんなじか。
好きな人の声。
#15 耳を澄ますと
なんてステキ!
二人だけの秘密って言うけれども、「君」と秘密を共有
しているのは僕だけだから、これはもう僕だけのもの。
僕だけのトクベツなんだよ。
って、きっと共犯者はみんな思ってる。
あぁ、後ろ暗い秘密じゃなければのお話だけど。
#14 二人だけの秘密
綿あめだ!
もしかしなくても、綿あめの話をしてますね?
上質なかき氷でも、プリンでも、水まんじゅうでも、
ゆるいラムネでも、脂ののったお肉でもいいよ。
口の中に広がってふわっと消える刹那的な美味しさは、
いつだって、私が追いかけたくなる感覚だ。
簡単に形容できないそれをなんとか表現しようと、
口の中を探って、刹那の体験を思い出すのが楽しい。
セツナトリップって曲が好きだけど、今思えばとても
いい題名だ。自分の全部がどこかに持っていかれるのは
一瞬の衝撃で充分だって、みんないつ知るんだろうね?
あぁ、また何か口の中で溶けるものが食べたいな。
#13 刹那
疑問は連続する。
意味があるって、つまりそこには価値があるって、
誰かが認めたということなんでしょうか。
じゃあ、親友と意味のない会話をしている時に感じる
私のあの幸せは一体何?
生きる意味を求めるのは、自分の人生に納得していないからでしょうか。ゴールが見えないと、走る気力を
無くしてしまうのと一緒?
例えば意味がないとして、私は人生を放棄するのか。
そもそも意味とは、意義とは。誰にとっての?
中学の時は、そんなことをグルグルと考えていた。
「生きる意味を見つけることが生きる意味だ」
なんて結論に辿りついたりもした。
でもさ、それもまた何か違うんだよね。
しっくりこない。だから、だからさ。
理由、じゃダメなのかな。
これから来るゲームのイベント。美味しい食べ物。
追いかけてる漫画やアニメに映画。この先どう成長するのか気になる人たち。自分が楽しいと思う瞬間。
会いたいひと。
そういうもののために、いや、そういう「好き」があるから仕方なく生きてやってるんです、私は。
生きる▶︎〇〇のために
じゃないよ。
〇〇があるから▶︎生きる
ただ正直、もう生きることには慣れてしまったな。
あまりにも当たり前だから、自分の生に感動することは減ったし、それでいいと思ってる。
意識的に生きようとするのは、いつだって辛い時だ。
生きる意味なんてこと、普段から考えないくらいに
無意識に生きていたいね。だけど、そんな健康的すぎる人生は不健全だね。
でも、「死んでいないだけ」よりずっとまし。
#12 生きる意味
拘り、という字について考えてみよう。
全校集会で先生がそう言った時、眠気で沈んでいた
周りの人たちの頭が、少しあがった。
「手」に「句」を書くほどの執着で、拘りなんだと。
なるほどなぁ、って素直に感動した。漢字は意味がある
からやっぱり面白い。拘りは気がつかなかったな。
・・・なんて思考は一瞬で通りすぎ、また私は頭の容量を
持て余す。
流れ星の話を思い出した。
流れ星が落ちる前に、願い事を3回言えば願いは叶う。
この言い伝えはよく、「そんなすぐに言えないよー」
なんて文句とセットで話されている。
でも、そういうことじゃないんだってさ。
その願い事がずっと頭の中にあって、日々、常にそれを
目標として生きているような、まっすぐなひと。
そういう人の願い事は叶う、っていう意味なんだと。
拘りたいものがあるって幸せなことだなとも思うし、
そんなのは疲れてしまうよ、とも思う。
だけど、私とは比べ物にならないくらい頑張ってる人
にはせめて報われて欲しいから、この言い伝えはすき。
流れ星が見たいな。願いとかはもういいから、ただただ綺麗なものがみたい。
なんて、考えてるうちに集会が終わった。
#11流れ星に願いを