『今年の抱負』
比較なき それぞれの良さ 知る機会
『一年間を振り返るの方』で
殆ど抱負みたいなことを書いてしまったんですが
あれは主に受験に向けてという感じだったので
今年も含めたこれからの抱負を書きます
何か自分に出来ないことがあると
周りと比較して
自分がダメな奴だと思ってしまう
存在の意味が分からなくなってしまう
自分がいなくても問題ないだろうと
自分がいるせいで迷惑をかけていると
でもそんなことをいくら思っても
周りの その人に なれるわけではない
比較したその人に出来たことが
出来なかったとしても
それは当然のことで
だって別の人間なのだから
そう思ってもやはり比較してしまう
そういうときどうしたら良いだろう
こういう思考に陥ったのが結構前だったので
長い間 といっても餓鬼からしたら程度
考えてようやくでた答えが
比べるものではないと
その比較で見つけた自分の出来ないことは
その人の良さを知る機会になっていると
悪いところを見つけるくらいなら
良いところを見つけたいじゃないですか
なのでその比較は
他人の良さを見つける機会になった
と思うことにしました
というかそもそも
その人が 努力で手に入れた
良さや出来ることを
自分が出来て当たり前だと考えること事態
烏滸がましいのではないかと
思うようになりました
自分も同等かそれ以上の努力をしていたのか
していたのだとしたら少しくらい
羨んで自分を卑下していまうのも分かるが
そうでないなら比べることがおかしいと
それぞれ出来ることなど限られてる
その中で最大限をやるしかない
比較しても 持っているものが違うのだから
同じことは出来ない しなくていい
自分自身が自分の思う
良さを見つけていけば良い
人と比較して あの人より出来てないと
思ったのならそれは
その人の良さを見つけたのだから
それを相手に言ってみると良い
それが出来る人はなかなかいない
嫉妬して その嫉妬したその人の持っている
ものが良さなのだとは伝えられない
見つけたそれを
何に変えていくのかは
本人次第だ
嫉妬とするのか 憎悪に変えてしまうのか
相手を知れたことを喜ぶのか
なにも出来ないなら何でもしてみれば良い
出来ないこと=悪いこと ではない
それを受けて何をするのかが重要だと思う
抱負は人の良さを見つける
出来る出来ないではなく取り敢えず
やるだけやってみるです
『新年』
初詣 おみくじ中吉 朝の社
毎年思うことなんですけど
グループLINEで【あけおめ】ってやつ
あれ通知切ってないと
とんでもないことになりそうだな
と思いました
もうなんか 凄く煩そう
ということで皆様
新年明けましておめでとうございます
何がおめでとうなのか
疑問に思いながら毎度言っています
おそらく 無事に新年を迎えられたことに対して言っているのでしょうけど
去年は震災があったため
【新年明けましておめでとうございます】
ではなかったですよね?
まだまだ被災地では復興のために多くの方々が
寒い中活動をされていることだと思います
一日でも早く
辛い思いをされている方が笑える時が
当たり前のいつも通りの日常が
来るのを心から願っております
被災をしたわけでもない どこぞの子供が
こんなことを思っていてもなにも出来ないですが
それでも願わせて欲しいです
皆様がどうかこの一年に
楽しい思い出を残すことが出来ますように
『良いお年を』
お年玉 親戚集めて カツアゲか
昨日一年間を振り返ったので
書くことはほとんど無いんでね
お年玉について思ったことを書こうかなと
お年玉ってぶっちゃけ大人からしたら
ほぼカツアゲ状態じゃね?って
まぁ自分はまだ子供なんで関係ないですけど
貰ったら必ず当然ですけど
感謝の気持ちを伝えてます
ここ数年になってありがたさを
ようやく感じられるようになってきて
今までありがとうを言わされてた
という感じがあったんです
けど 当然に貰えるもの ではないと
大人の方々が 汗水流し
ブラックな世の中を生き抜いてきた
証なのではないかと思うようになったんです
大人の皆さん毎年ありがとうございます
仕事が楽なことなんて無いと思ってます
それでも 少しでも
楽しい日々が増えますように
皆様どうか 良いお年を
『一年間を振り返る』
迷い道 己を探す 判断の
最も悩む 決断の時
幾度も求められる答えを
自己を見つめて悩んで
悩むことは悪いことではないが
判断しきれず いつの間に
ジレンマへと 踏み入れてしまう
這い上がるのは 難しい
まさに今その狭間に立たされている者が
執行の時を待っているだけになっている者が
周りにいるなら手を伸ばして
這い上がる手助けをして欲しい
だが 立てば一人
判断を迫る問い 立ち向かえるか
立ち向かう力を蓄えるときだ
そこを手助けして欲しい
ただそれだけだ
今年は 力を蓄える一年だった
それは来年も変わらない
だが来年は 判断の時もある
人生 常に判断だ
その人生の中でもいくつか存在する
両極端な判断の時
その関門のひとつを迎える
答えを出す時
『みかん』
丸くなる 炬燵の近く 猫と人
蜜柑広がる 染まった机
みかん剥いてと
交わす会話は変わらないが
今時炬燵の無い家も少なくない
交わされる景色は変わってる
けれどやはり
その時の家族の空気というのは
暖かいものなのだろうか
別にそんな会話は無くても良い
ただ年末の家族間の空気というのは
外の寒さとは違う何かがあると思う
年末頑張って勉強している受験生は
案外そういう何気ない暖かさに救われる
いつも通りでいて欲しいと思っている
まだ今年は終わっていない
良い一年だったと言えるように
一人願う