ひとりきり

　ひとりきりでいたって別に寂しくなんかない。寂しくなんかないけど、無意識に君の分のスペースを空けた行動をしていることに気づいたから、どうしていいか分からないだけ。そう本人に伝えたてしまったら、きっと金に物を言わせて新幹線に飛び乗ってきてしまいそうだから、今は平気なふりしておくね。次の休みを楽しみに。

フィルター

　自分が全く飲まないコーヒーのフィルターのゴミが、今日もキッチンの三角コーナーに捨てられているのを見ると幸せを感じる。

雨と君

　涙に濡れた自分を抱きしめてくれるのは雨と君だけだ。乾いた地面に音を立てて落ちていく水滴の音を聞くたびにどこかが痛むような感覚があった。雨の全ては拾えない。だけど、君なら自分の全てを拾ってくれる。それがどうしても嬉しくて、幸せだった。自分に纏わりつくような温かい優しさを感じることはもう無いけど、その思い出だけが輝いていることに意味がある。

誰もいない教室

　いつも登っていた階段を上がると、少し古びた教室が見えてくる。普段なら授業が始まっている時間だけど、明るい日差しと黄緑色のカーテンが揺れているだけでここには誰もいない。代わりに窓の外から楽しそうな声が聴こえている。自分の椅子を引いて腰掛けるとやっぱり木の軋む音がした。誰もいない教室は静かだけど嬉しくはない。机に項垂れていつものように目を閉じるが、叱ってくる先生はいない。胸につせた花の飾りが顔に当たってちくちくする。少し感傷的になった心で三年分の夢を見た。

信号

　信号の一番右の色が何色かって聞かれたら大抵の人青って言うじゃん。でもあれ緑だよね。緑以外の何色でもなく無い？なんて、目についたものに思ったことが口から漏れ出る。そんな自分の話を聞いているのか聞いていないのか、彼はいつも通り曖昧に笑った。人通りも車通りも少ない路地に二人で佇む。

　深夜だけどアイス買いに行こうと、出不精な彼を引き摺って、家から一番近い24時間営業の便利なお店にやって来た。彼は「太るよ」なんてデリカシーのないこと言うけど、たまには良くない？あまり乗り気でない彼を無視してアイスを二つだけ買った。自分の好きな白いパピコと、なんか新発売のりんごのカップアイス。これ、好きそうじゃない？と彼に見せれば、「確かに」と頷いた。

　えー！わざわざ自分のも買ってきてくれたん！と嬉しそうに目を細めるもう一人の顔を想像して二人で笑い合う。お目当てのものを無事に買ってからコンビニを出て、また家へと歩き出す。そこで運悪く信号に引っかかり、少し前を歩いていた彼は横断歩道の前で足を止めた。青と緑の話を終えて無言が続く。周りは本当に誰もいないかのようにしんとしていた。まるで、ここだけ切り離された二人だけの世界みたいだ。

　やけに長い信号の色が変わるのを待ちながら口を開く。自分さ、いくら夜でも、車いなくても、人いなくても、ちゃんと信号守る人と付き合いたい。彼はまた曖昧に笑いながら「そうなんだ」と溢す。この鈍感男はこれぐらいのアプローチなら全く気づかないだろう。いや、気づいてほしい訳ではないけど。自分たちはとても仲が良い。三人で、仲が良い。この関係性を崩すつもりは無いし、これからもこれが続くことを願っている。だから、言わない。自分の信号はずっと止まれの赤を指しているから。いつか、黄色になって、緑が灯ったとして、この何年も動かさなかった足は動くのだろうか。それなら、信号が変わったのに気づかないふりをして三人で仲良く手を繋いで笑っている方が良い。この二人だけしかいないような空間にも、もう一人分のアイスはあって、自分たちが三人でいることは明白だから。

　車道用の信号が赤になり、目の前の信号が緑に変わる。普段は鳥のかわいらしい音が聴こえるはずだが、夜間だから音は鳴らずに、自分たちのコツコツと歩く音だけが響く。二人で食べているのを見て、結局「僕も食べたい」なんてわがままを言い出すこの男のために、シェアできるアイスを選んでいることには一生気がつかなくて良い。