いつか、モンゴルの大草原に立ってみたい。
どこまでも続く青い空と、緑の平原の境目。
地平線、と言うものをこの目で見てみたいのだ。
できればあの空よりも濃い青の民族衣装を身につけて、ただただ広がる緑の絨毯の上を駆けたい。
血液型占いを信じてる私は、75%がB型だというモンゴルの遊牧民が自分のルーツだと思っている。
だからこんなにも自由が愛しい。
遠い地が恋しい。
定住が恐ろしいのに、誰かと生きたい。
そんな想いを抱えながらモンゴルへ続いてく青空を見つめ、
買ったばかりの真っ青なカーディガンの袖に腕を通した。
始まりはいつも良いのだ。
新しいことは楽しい。
たくさんの素敵な始まりを経験したあたしは、
何一つ続けることができず、
好きなものも身についたことも何もない。
例外は
あなたとの結婚生活だけ。
本当に、奇跡的だわ。
私の心を落ち着ける言葉がある。
おまじないのようなもの。
心が泡立って、イラついて、
あるいは悲しくて、胸に穴が空いて、
気を抜くと叫んでしまいそうな時。
涙が噴き出しそうな時。
心の中でこの歌をなぞる。
久方の光のどけき春の日に
しづ心なく花の散るらむ
するといつだって、
不思議に心が解けて、少しだけ楽になる。
平らかになる。
1000年の時をこえ、
私に届く。
平安のやわらかな光。
鋭い眼差しなんて、要らない。
ただただ暖かい目で見ててほしい。
お願い、
パパ。
お願い、
ママ。
ずっとそう思ってきたあたしの眼差しは、こんなにも鋭くなってしまった。
優しい眼差しを
誰か教えて。
小学生の頃。
放課後の挨拶は「今日あそべる?」だった。
時は昭和の終わりぎわ。
塾や習い事で忙しい子は、まだ少数派で。
多数派の私は、同じく多数派の子に声をかける。
あるいは声をかけられる。
「今日あそべる?」
公園で、友だちの家で、校庭開放で、児童館で。
何に打ち込むでもなく、ただ遊ぶ。
「じゃあ、また明日!」も、あくまで軽く。
あそべる?に始まり、また明日!に終わる。
放課後。
この軽やかな時間は、永遠に続く気がしてた。