『Love you』
普段、仲の良い両親が珍しく朝っぱらから口喧嘩を始めた。主に母が怒っている様子で、父の仕事がどうとかこうとか。夫婦喧嘩は犬も食わないらしいから、放っておけばいいが、面倒くさくもあるため、いつもより5分早く家を出発することにした。
見慣れた通学路をゆっくりゆっくり、スピードはいつもより遅くなるように意識するが、時間だけはピッタリ合うように歩き進める。
あの角を曲がると、今日もあの子がいるはず。
毎朝、この道ですれ違う名前も知らない女の子。
「おはよう」と言えたことはなく、もちろん言われた事もない。始めは、ぼやけていた感情も、下心以外で挨拶する意味はないだろうと、自分自身の気持ちの分析は既に済ませてある。
僕は彼女の見た目が好きだ。少し癖っ毛で亜麻色の長い髪、甘ったるい印象を与える垂れ下がった目に小さな鼻、丸っこい輪郭、線は細いがとても背が高い。
一目惚れだった。
彼女が目の前に現れると、僕の脳はピリッ電気を発する。いまだに頬は瞬時に熱く硬くなり、心臓がドドドッと早鐘をうつ。彼女が僕の横を通り過ぎるまでの数秒間は永遠のように感じられるし、彼女と一緒に緊張が通り過ぎた後では、一瞬のことであったように、あまりにも物足りなく感じる。
僕はなんて声をかければいいのだろう?
彼女に好きな人がいるのだろうか?
僕なんかに声かけられるのは迷惑かもしれない。
一目惚れとは不純なものなのだろうか、、、
考え込むといつも、感情をドンドン小さく折り畳んでいってしまう。
それから数日後の夜、両親から告げられたのは、県外への引越しだった。父の転勤が急に決まり、それも2週間後にはこの家を出るのだと言う。
真っ先に頭に浮かんだのは、友人との別れの悲しさや新たな転校先での不安や期待ではなく、あの子のことだった。
僕の心の中にポッと火が灯され、それからメラメラと熱い気持ちが胸に広がり燃え上がっていく。この気持ちを伝えずには行けない。しかし、、、
「あっ、あのっ、」やばっ、声の音量間違えたーー
引っ越しの前日、最後の登校で、僕は彼女に初めて朝の挨拶をしたが、告白はしなかった。
分かりきった答えをもらうのではなく、気持ちよい挨拶で終わらせようと決めたからだ。
「おはよう」の言葉に僕の熱い想いを紛らわせながら。
『太陽のような』
君が落ち込んでいると、僕は「すごく」落ち込む。
君が泣くと、僕は誰もいない部屋で君を想い一人泣く。
君が笑うと、僕は嬉しくて顔をくしゃくしゃにして笑う。
僕が君の表面上の感情を飛び越えてしまうのは、許してほしい。
太陽のように、明るく、輝きを放ってほしいと、願いを込めてつけた名前。
君は人から距離をとりながら、生き続けてきた。
誰にも理解を得れないで苦しんできた。
その苦しみを代わってあげることができない。
今はまだ未熟な君の辛さの半分は僕が背負っていくから、喜びは独り占めでも君が思う人とでも分かち合えばいい。
君が僕たちを明るく照らし続けてきたことは知っていてほしい。
『0からの』
45歳中年、50歳までにこの世に一つだけでいいから、文学的に評価される物語を創り出したいと夢見る。気力を保てるなら、期限は設けず、死ぬまでに叶えるでもいいかもしれない。
想い10年、文章を書き始めて11日目。
最近、「書く習慣」アプリのお題を確認する時が、一日で一番緊張する。書き終え「OK」ボタンを押して、自分の作品を読み直す時は気恥ずかしくなり、一日で一番悶絶する。仕事ですり減らされた感情を、家に帰って更に削りまくっていることに、自分でも笑える。
ほら、今もスマホをフリックする手が止まり、この感情に当てはまる言葉を頭の中で思い描こうとするが、見つけることができず、頭の後ろをガリガリと強く掻く。
表現に自信がない。キャラクターに魂を吹き込むことができない。目の前にあるものの例えが全く浮かんでこず、ただの説明文になってしまう。しかし、こんな俺でも、いつか本腰を入れて書きたいテーマがある。今はまだそれを扱える技量がないから、安易に手を出す訳にはいかない。いつか、その物語が、誰かの感情に触れることができよるうに、腕を磨くだけだ。
ここでは、書くことの練習の意味合いが強いが、少しでも自分を納得させたいとは思う。「一筆」からの始まりが「記述」になり、「執筆」へと昇華させていくことができるように。
0からのスタートが45歳。だけどもっと早く始めればよかったとは思わない。遠回りしている間に無駄なものを振り落とし、熱くなれたのが今だっただけのことである。
だから、明日も書く。死ぬまで書き続ける。
『同情』
俺たちは、退屈な日々を意味のない言葉や会話で盛り上がり、上塗りしていく。話題が尽きると日々がつまらないものであると認めてしまいそうになる。
「うぉ〜い」
リュックを左右に弾ませながら、ドスドス走ってくる佐久田が、俺の目の前にたどり着くまでに、片手の爪切りくらいはできそうだ。
「ふぅ、ふぅ、、、ちょ、ちょっと待って。ここ空気薄くね?」
両膝に手をつき、肩で息をし、土気色だった顔色がようやく少し落ち着いてきたところで、やっと声をかける。
「何、どうしたの?」
「俺、最近、ハマってるセリフがあるんだけど、聞いてくれ」
コイツは、深夜アニメ、ドラマ、映画、漫画、小説など様々なコンテンツを網羅している。それゆえ、毎日のように仕入れてきた情報を共有しようとしてくる。本当にどうでもいい、、、
佐久田は急に目をキリッとさせ、
「同情するよ」
抑揚ないが、通る声で言い放った。
コイツは、声だけは無駄にいい。こちらの反応を気にせず、話を続ける。
「例えば、上司の罪を背負わされて、突然、地方の関連会社へ左遷させられたり、大好きな彼女をイケメンに寝取られるとか、自分の力ではどうにもできないことに対して、ライバルでインテリ風のキャラが、肩をポンと叩きながら、『同情するよ』ってね。親が死んだとか、重すぎるやつはダメ。俺、考えただけで泣けてくるし。」
よっぽど、親と仲いいんだな、俺の家とは違うようだ。
しかし、左遷も何も俺たちはまだ高校生だし、イケメンに彼女を寝取られるのは仕方のないことだと考えているのも悲しい。最近はいったいどんな物語を観ていたのだろう。
佐久田の「同情するよ」談義は昼食時になっても続く。
小休憩の度に、俺の机まで来ては、授業中に考えついたシチュエーションの説明を始める。だから、コイツは成績が悪いのだろう。まあ、俺も人のことは言えないが。
「とにかく、俺は今日中に『同情するよ』を完璧に決めてやるから、チャンスの場面を見つけたら、合図しろよな」
アホらしい。
俺たちみたいに陰キャで運動が苦手な生徒の気持ちを無視した、校内マラソン大会がいよいよ来週に迫ってきた。この時期の体育の授業はもっぱらマラソンになる。ただでさえ、嫌いな体育がこの世で一番嫌いなものに変わる季節だ。
佐久田と教室からグラウンドにダラダラ向かう横では、決して目立たないが誰とも気さくに話し、常に中立の立場を保つ陸上部のエース西村くんにクラスでも奔放な女子達が話しかけている。
「西村、どしたの?足引きずってんじゃん」
「朝練で、後輩と接触しそうになって無理な姿勢で避けた時に着地を失敗しちゃってね、、、たぶん捻挫」
「えー、優勝候補筆頭だったのに、マラソン大会どうするの?」
「残念だけど、顧問の先生には、今回は休むように言われてる。」
女子からの励ましの言葉など、ワチャワチャした会話はなおも続いている。
ん!!これはーー
素早く首を振り、隣を歩く佐久田に向け「今がチャンスじゃね?」と視線を送るが、肝心の佐久田は下を向いたまま固まっている。あっ、日和ったなコイツ、、、
俺たちの日々の会話は軽い。浮き上がり弾けて消えるシャボン玉のようだ。そうやってまた別の話題が生まれ、小さな界隈でのブームは次々に切り替わっていく。
しかし、この日は違ったようだ。
「1、2、3…」と熱血体育教師の号令で準備体操が始まって直ぐのことだった。自分の情けなさに脱力していた佐久田が屈伸運動で膝を曲げた瞬間、「ブッ」っとかましてしまう。ざわつきの後、クラス中で大爆笑が起こる。
佐久田、俺は、お前に一番「同情する」よ。後で完璧に言い渡してやるから。
『枯葉』
彼女は太陽のように朗らで、Aを明るく照らし続けてきた。彼女はAの全てだった。
彼女には何にも代え難い夢があり、少ないチャンスが巡ってきた。これを逃すわけにはいかない。
彼女は多くのものを抱えるつもりはなかった。
Aの存在を疎ましく感じるようになった彼女は、拒むように距離を置くようになったため、二人の関係は急速に冷え切っていった。
それでもAに別れる考えは全くない。
彼女は自分に都合のいい嘘を並び立て、短い秋の間に決着をつけた。
切り離されたAは、光と温もりを失い、自分の色を保つことができなくなり、絶望の下、枝から落ちる枯葉のように、身を投げた。
ドッシリとした巨木の幹のように、彼女の考えが揺らぐことはない。