恐怖心って、
生きていくのに必要なものだと思う。
怖いって普通の感覚。
怖がりなのって悪いことじゃない。
怖くて逃げたことなんかを気に病む必要も無いんだよ。
だって恐怖心は、
逃げられるように備わってるものだから。
怖がりでいい。
逃げたっていい。
自分がそうしたいなら、逃げなくてもいい。
怖くて、逃げたくて、でも、逃げたくない。
そういうときってあるよね。
どうしても引けないとき。
怖がる心を無視しないであげてほしい。
気づいてあげて欲しい。
だけど、
恐怖心って本能に近いもので、
こうしたい、ああしたいって望む心とは少し違うと思う。
だから、
怖がる心に気づいた上で、
逃げる、逃げないを決めるのは自分。
逃げたいか、逃げたくないか。
ただ、一番伝えたいのは、
怖がりを恥じることはないってこと。
︎︎︎◌ 怖がり ︎︎◌
星が綺麗に見える場所では、
空から溢れそうなほど、星が狭そうに並んでいる。
そんなふうに見える。
だけど本当は、
空はどこまでも高くて、宇宙はどこまでも広がっていて、
並んでいるように見えるあの星たちも
すごく離れているんだろう。
なんだか気が遠くなる。
◌ 星が溢れる ︎︎◌
この瞳に映すのが、
常に安らかで、幸せな世界でありますように。
そして、
あなたの瞳に映るのも、同じ世界でありますように。
誰もその瞳に、
恨みや憎しみを宿さないような世界が、
いつか来ればいいのにと強く思っている。
︎︎◌ 安らかな瞳 ︎︎◌
世界は広いから、
宇宙は広がり続けているから、
新しく知れることが、どんどん増え続けているんだ。
とどまることを知らず、
色んなものが生まれ、色んなことが起こっている。
知ることは、自分をつくっていくこと。
知ることで、できることが増える、考え方が変わる。
でも、もしかしたら、知ることで、
できなくなることがあるかも。
考え方も良くない方向に変わるかもしれない。
知ることは、自分をつくっていくこと。
知ることは、自分を変えていくこと。
自分が良くなるか、悪くなるかは、分からない。
知識を得た上で、
どう動くか、どう変わるか、
自分でコントロールできるかもしれない。
できない可能性だってあるけれど。
生きていると、どうしても、嫌でも、
知っちゃうことが多いんだよね。
でも、知ること自体は、
一つも悪いことはないんだと、私は思っている。
嫌なのはきっと、知ったことで、悪いほうに、
自分のあり方が変わること。
まわりが、変わって見えちゃうこと。
それが、少し怖いんだ。
だけど、私は今、知りたいことの方が多いよ。
だって、分からない。
自分が前より素敵に変わるかもしれない。
まわりが前より素敵に見えるようになるかもしれない。
可能性が、捨てきれないんだから。
︎︎◌ もっと知りたい ︎︎◌
今日が、平穏な日であるということが、
どれほどの奇跡か、
それが何日も、何ヶ月も、何年も続くことが、
どれだけ恵まれたことであるのか。
私たちは、気が付かなければならない。
私は、平穏でない日常を知らない。
生まれてこの方、ずっと平穏な日々を過ごしている。
私には、不穏な日々がどのようなものなのか分からない。
きっと脅かされて初めて、
平穏な日常があることの奇跡を知ることになるのだろう。
でも、もうこれ以上誰にも、
平穏な日常が壊れることを体験してほしくない。
身をもって、平穏が崩れることをもって、
その大切さを知る必要はない。
ただ、分かっていればいい。
平穏なときに、分かっていればいいのだ。
穏やかな日々がいつまでも続くよう、願っている。
できるだけ長く、長く。
そして、平穏が去ってしまったあの場所にも、
早く平穏が戻るよう願っている。
︎︎◌ 平穏な日常 ︎︎◌