あの人はやめなさい
ママは言った
どうして反対されると気になるのだろう
それならあの人にしなさいって言えば
わたしは興味をなくしたのかも
しれないのに
ママに似ていたの
困ったときの顔が 怒る唇が
鼻の形が 不器用なやさしさが
ママに似ていた
車窓を眺めて
あの人ときた町を横目に
わたしはそれ以上遠くへ行く
ざまあみろ
思い出は日々色濃くなって
あなたはどんどん遠くなる
忘れた日が一日もない
だからずっと遠くへ行かなきゃね
知らない町と 知らない人に会って
目まぐるしくしなくては
たくさん忘れていかなくちゃ
仕事をやめた
あの人は言った
「こんな時期にやめるなんて信じられない」
体調が悪く、
面接会に行かなかった
あの人は言った
「いつまでそうしてるつもりなの?甘えているわ」
「みんな身体を壊しながら頑張っているのに」
あの人は言った 何かしらを
顔も見たくないとか 認めないとか そのようなことを
見なければいいし
認めなければいい
そのうち、あの人たちはどこかに行ってしまった
仕事をやめたとき
行きたくない用事を休んだとき
わたしの身体は言った
「ゆっくりしてくれてありがとう」
「おかげでゆっくり空気が吸える。助かるわ」
お茶がおいしかった
わたしの身体はどこへも行かなかった
あの人たちとは違って
いつまでもわたしのそばにいた
見て聴いて触って味わって嗅いで
わたしの身体はここにいた
きっと死ぬまで一緒だろう
ニュースの上澄み
世界はどこでも物騒で
油断できないという
実際いったこともない街
話したこともない人たち
今日は何を食べたんだろう
どんな靴を履いてたの
何も伝わってこないよ
一日中しかめっ面ってことはないでしょう?
わたしのことも知られることもない
黒い蝶々に見惚れたこと
台風で水かさが増えた湖がうれしかったこと
今日も熊は見あたらずほっとしたこと
父といったススキ野原を思い返して泣いたこと
何もないけど生きているよ
それでもいいんじゃないかな
恋ではあったと思う
だけど
乞い、だった
来い、だった
どこかへいってしまうあのひとを
愛することはできなかった
ほしかっただけのエゴ
コレクションに加えたかった
だからやめた
今度恋するひとは
遠くにいっても
こちらにいなくても
しあわせを願える人にしよう
そう思った
ただわたしが醜くならないため
わたしが愛するのはわたしなのだろう
困ったような笑顔が
あたたかくて
わざと機嫌をなおさなかったんだ
ずっといてほしかったから
結びの言葉は言わなかったんだ
ありがとうなんて言ったら
最後になってしまいそうで
わざとらしい場面はいらなくて
ずっと愛って名前はつけない、でもきっと愛のやりとりが
とぎれずに
交互におこなわれてる
それだけでよかったよ
疑ったことなんてほんとはなかったよ
いなくなるなんて日はいらなかった
わたしはあの日から
欠けてしまった世界をながめています
なんにも足りなくて
さびしくて
でも気配も思い出もあって ほんとの意味ではさびしくはなくて
ひとりだけどひとりじゃなくて
みえないだけで
みえないけど いるよ
いるからね さびしがらないで