いつからか秋が無くなったような
そんな気がする
夏の次はすぐに冬になり、
もはや秋などどこにもない
自然から秋が消え去ってしまったようだ
いや、本当にそうか?
確かに秋を感じられることは
少なくなったかも知れない
しかし完全に消えたわけではないと思う
紅葉する木々を始め、秋の味覚など、
まだまだ失われてはいないだろう
よく目を凝らせば見つけることができるのではないか
どんなに見つけづらくなっても、
わずかに見える小さい秋を探しに行こう
高台にある家の窓と、
窓から見える景色を描いた絵を見た
窓の外には町並みと海が広がっている
こういう絵を見ると、
想像力が掻き立てられる
ここはどんな町なのだろう?
この窓に収まっていない部分は、
どんな町並みをしているのだろう?
この家はどんな見た目をしているのだろう?
ここはどんな気候なのだろう?
好奇心で色々な疑問が浮かぶ
聞けば、この絵の町は実在せず、
架空の町並みを描いているのだという
つまり、疑問に対する答えは、
作者しか知らない
いや、作者すらも知らないかもしれない
しかしそれが逆に考える余地を生んでいる
私はこの絵に描かれている町がどんな町なのか、
考えるのがなおさら楽しくなった
穏やかだけど、深く楽しませてくれるこの絵
必ずまた見に来よう
次に来た時には、
今とは違った想像ができるかもしれない
形の無いものでも、
人はその形を想像したりする
たとえば、風の形
多くの人がなにかしらの形を思い浮かべられるだろう
風の形なんて存在しないのに思いつく
それでいてしっくりくるのだから面白い
形だけではなく色を想像することもある
私の場合は風は水色だ
風に限らず、
形のないものを想像できるなんて、
人間はなかなか楽しい機能を持っている
ちょっと変わったところで、
優しさの形なんてものを想像してみようか
クレヨンで描いたような、
ふわふわした黄色くて丸い雲みたいな形かな?
子供の頃、
ジャングルジムのてっぺんに登ると、
ものすごく高い場所にたどり着いたような、
そんな気分で景色を見回していた
今登っても、
もちろんそんな気分になることはないだろうけど、
当時はてっぺんからの景色が輝いて見えた
どんなに高い建物や山に登って、
どんなにきれいな景色を見たとしても、
あの頃のあの景色は色褪せることはない
あの時の感情を忘れることはない
友達と楽しくジャングルジムに登った思い出は、
今も自分にとって大切なものだ
どれほど大切な思い出が増えたとしても、
この思い出の価値が下がることはないのだ
なんてことのない小さな出来事だけど、
自分を形作る大きな思い出のひとつだ
今まで無視し続けたけど、
やむことなく声が聞こえる
確かに聞こえている
ずっと聞こえないふりをしてきた
そのほうが楽だと思っていたから
でも、それは間違いだった
声は日に日に大きくなり、
大きくなるほど辛くなる
聞こえないふりをするのも限界だった
だから、思い切って聞くことにした
自分自身の心の声を
自分の心の声と真剣に向き合ったら、
今までの辛さが嘘のように消え、
心が軽くなった
自分を無視することはできないのだから、
まずは声を聞くことが大事なのだと知った
この先どうすればいいかは、
その後でゆっくり考えればいい