鍵もついていない
扉は少し開いている
さあ、そこから飛び立っていいんだよ?
・・いや、出ない
だって、この中でじっとしているのが、
安全だと教わったから
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自分の好きなようにやっていいんだよ!
なんて言われても、
誰かが用意してくれた
カゴの中で過ごすほうがラクだし、安全
心では自由を望んでいるのに、
ホンモノの自由を目の前にすると、
その責任の重さに
耐えられないのが現実
結局、自分で決めるのが怖いんだよな
だからこそ
自分で自分の行動の責任を取る覚悟を決めた人は
カゴの中から飛び立てるのかもね
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じゃ、もう一度聞くよ
あなたがそこにとどまる理由は?
・・・
なら、いっそのこと
思いっきり飛び立ってみようよ
もう誰かの言うことなんて聞かなくていい
心が感じてることだけ信じてみて
自分の心だけは、ウソつけないから
友情か、、
ちょっと重く感じるのは僕だけ?
まあ、強い友情で結ばれてるとか、
そういうのは別にいいんだけど
んー、
友情とか、絆とか
そういう言葉を使わなくても
なんとなくずっと一緒にいる人はいるし、
なんとなく合わないなら離れていくだけ
昔からの友情があるから!
みたいな「言葉」で縛られるのは窮屈な気がする
まあ、そんな斜に構えたような見方をしてしまうのは、
僕自身がホンモノの友情を知らないだけかも知れないけどね
大切な人には思いやりをもって接する
それだけで僕は精一杯かな
つぼみの状態でじーっと春を待ち、
少しずつ、少しずつ、背伸びするかのように
花びらを開いていく
いきなりパッと開いたりはしない
なんでもそうだと思う
最初からうまくいったように見える人でも、
きっとその結果につながる行動を
今までやってきたんだよね
今日やった行動が、
来年の結果につながるとは限らない
けど、再来年の結果につながるかもしれない
それは誰にも分からないけど、
タネをまかない限り、花も咲かない
さて、どんなタネをまこうかな
タイムマシンがあっても、
僕は使わない
過去にやっちまったこと、
悔しかったこと、
嬉しかったこと、
何もかもが、今の僕を構成している要素だから
もし使うとしたら、
過去の僕にお礼を言おうかな
一生懸命、生きてくれてありがとう
そして、これからもずっとよろしく
僕の名前ってわりと教科書とかに出てくる
だから、小学校のときみんなの前で国語の教科書とか、英語の教科書を読むの恥ずかしかったな
でも、自分の名前は好き
漢字から意味を想像しやすいし、
なにより名前の通りになりたいと思える
名前をつけてくれたお母さん、お父さん
ありがとう
これからも、僕は僕の名前を誇りに思い、大切にします