気づけばここにたどり着いていた。
温かくも冷たくもない水で満たされている海の底。空を見上げても、深く暗い青がずっとずっと広がっているだけ。海水のこぽこぽする音しか聞こえない。静かで、暗くて、ちょっと苦しいけど……
ここにいればすべてを忘れられる。
悲しかったことも、辛かったことも、何もかも。何も感じなくていい。何も思わなくていい。それを許してくれるこの場所が大好きだ。
時間ができるたびに僕はそこに行って、一人で心を落ち着かせた。嫌なことを思い出した日は、一日をそこで過ごした。僕の心は、いつも穏やかだった。
海に沈むようになってから一ヶ月。
……最近、なんだかおかしい。「わからない」と思うことが増えたのだ。
泣けると話題の映画の良さが分からなかった。
野良猫のかわいさが分からなくなった。
やりたいことが分からなくなった。
今までの夢は、もうワクワクしない。
そもそも「ワクワク」とは何だったか…?
僕の心は、いつのまにか動かなくなっていた。
『海の底』
「おはよ〜。今日も寒いねえ」
ずっとずっと待っていた声が後ろから聞こえ、思わず飛び跳ねたくなる。そんな気持ちをぐっと抑えて、いつも通り「うん」とだけ返事をした。そんな私に友は、塩対応!冷たい!と楽しそうにからかう。
…楽しい。うれしい。
いつも「おはよう」って言ってくれること
消しゴム拾ってくれたこと
おすすめの本を教えてくれたこと
いちご味の飴をひとつくれたこと
ネームペンを貸してくれたこと
いつも「バイバイ」って言ってくれること
うれしかったこと、全部覚えてるよ。
いつも感謝してるよ。
積もるたび、思い出すたび、私の心はあたたまる。
『振り積もる思い』
君が見た夢
思いつくまで……
ここは、どこだろう。
キラキラ輝く海、白く光る砂浜、赤色に染まった空。
来たことが無いはずなのに、懐かしく感じる。
砂浜に腰を下ろして、しばらく海をぼーっと見つめた。
そういえば、人も動物もいない。車の音も無く、海だけがそこにあった。誰も見ていないと分かると、なんだかはしゃぎたくなってきた。
とりあえず海に沿って全力で走ってみる。
不思議な砂の感触が面白い。顔に、体に当たる風が気持ちいい。疲れも息切れもなく、無限に走れる気がした。楽しくて仕方ない。運動はこんなに面白いものだったのかと驚く。走り続けていると、ずっと遠くに光の柱が見えた。この世界は不思議なことばかりだ。光が気になった私は、あそこを目標にして走ることにした。
ゴールには思っていたより早く着いた。
光の柱は砂浜から、終わりが見えない天空まで一直線に伸びていた。その光からは、触ってはいけないという圧を感じた。しかし人間は、やめろと言われるほどやりたくなる生き物。好奇心を抑えられなかった私は、その光に手を伸ばした。
光に触れた瞬間、見慣れた天井が私の視界を支配した。
どうやら夢だったらしい。しかし、今日は二度寝できなそうだ。夢でのあの万能感が、まだ心に残っているのだ。全力で砂浜を走る気持ちよさを、また感じたい。そんな気持ちが私の心を埋め尽くしていた。
私は今日働く想像の自分にウキウキしながら、
思いっきりカーテンを開けた。
『明日への光』
帰り道、真っ白な地面を歩く。朝はまだ色がついていたはずなのに…。ふと顔を上げると、さっきまで明るかった山のあたりが紺色になっていた。
今は…17時半くらいだろうか。10分ほどしか歩いていないのに、もこもこで包まれていない肌は氷のようになっている。少しはマシだろうと、冷たい手で耳や鼻を温めながら進む。
あたたかい家を思い浮かべて。
『雪原の先へ』