なこさか

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10/19/2025, 4:21:17 AM



 限られた時を(再投稿)


 「ミル」

 部屋でヴァイオリンの手入れをしていると不意に自室の扉が開き、ぶっきらぼうな声で名前を呼ばれる。振り返ると部屋の入り口に血塗れのヴァシリーの姿が。

 「……返り血、よね?」

 「当たり前だろう。お前の師はそこらの雑兵に遅れをとると思っているのか?」

 「思っていない。……なら、どうしてここに?」

 「………」

 ヴァシリーは何も言わずに血に塗れた外套を脱ぐと、床に投げ捨てた。驚くほど外套下の制服に血はついていない。そして、そのまま私の背後にある寝台に腰を下ろした。

 「そのヴァイオリンは何だ?」

 「これ?最近趣味で始めたの。この前、スピカが楽しそうに弾いていたのを見てやってみたいなって」

 「暗殺者が呑気に楽器演奏とはな……」

 不機嫌そうに頬杖をつくヴァシリー。こうなった時のヴァシリーには下手に話しかけない方が良いことを私は知っている。何も返さずに、手元のヴァイオリンの弓に松脂を付けていると。

 「何か一曲弾けないのか?」

 「……練習している曲ならある。でも、上手く弾けるかどうか……」

 「構わん。やってみろ」

 「……分かった。でも、十五分の時間が欲しい」

 松脂を付け終わり、椅子から立ち上がり調弦を始める。それまでヴァシリーは何も言わずにただ待っていた。調弦を終わらせた後、ヴァシリーの方へ身体を向けた。そして、弓を弦に滑らせる。
 ゆったりとした調べで始めたのは「カノン」。スピカが初めに教えてくれた曲。ヴァシリーが何故、こんなにも不機嫌なのかは分からない。彼の感情の起伏にはいまだに分からないところがあるから。今は、少しでも彼の心が安らぐようにと願いながら演奏を続ける。
 演奏の途中、ちらりとヴァシリーのことを盗み見た。彼は目を閉じてヴァイオリンの音色を真剣に聴いている様子だった。そのまま最後まで弾き終わると、ヴァシリーの青い瞳がこちらを見る。そして、その口元がいつもと変わらない笑みを浮かべた。

 「何だ、練習中という割にはよく弾けている」

 「ヴァシリーの前だからかな」

 「こちらへ来い」

 ヴァシリーに手招かれ、ヴァイオリンをケースにしまう。それからヴァシリーに近づくと、腕を引かれて腕の中にそのまま閉じ込められる。彼からはまだ微かに血の香りがしていた。

 「ヴァシリー」

 「何だ」

 「さっきはどうして機嫌が悪かったの?」

 「……今回の任務で部下が大勢死んだ。背教者共が最期の悪足掻きにと、自爆をした」

 「………そう」

 「いつ死んでもおかしくない日々の中で、人の命が散る様は散々見てきた。今までは何も思わなかった。だが……今回は何故か違う。どうにも苛つく」

 「……」

 「だが、お前の演奏を聴いている間はその苛つきが鎮まるのを感じた。今日という日は俺の中では良くないものだったが……お前の演奏のおかげで、少しは違うものになりそうだ」

 まるで幼子を褒めるように頭を撫でられ、くすぐったいような気持ちになる。

 「なら、もっとヴァイオリンを弾くよ。ヴァシリーの心が少しでも穏やかになるように」

 「……やってみろ」

 ヴァシリーの腕の力が弱くなる。彼の腕から抜け出して、私はもう一度ヴァイオリンに手を伸ばし、弦に弓を添えた。
 今日という日に多く亡くなってしまった騎士たちの為に。その死に心を痛めるヴァシリーの為に。

8/6/2025, 10:17:21 PM




 身支度(各キャラクター) (再投稿)


 ヴァシリー、ミル


 「ミル」

 「ん?」

 「お前、髪は伸ばさないのか?」

 ヴァシリーは頸辺りで切り揃えられたミルの赤い髪を櫛で梳きながら問いかける。

 「伸ばしても邪魔になるから。その気は無いよ」

 「そうか。……終わったぞ」

 「はーい」

 ヴァシリーは櫛を鏡台前に座っていたミルに渡すと、今度は自身が鏡台前に行き、ミルが後ろへ回る。
 鏡の中に映る自分とミルをぼんやりと見つめながら、ヴァシリーはふとこぼした。

 「……娘なのだから、伸ばせば良いものを」

 「何か言った?ヴァシリー」

 「何も」


 二人は隙間時間にこうして髪の梳かし合いをする。
 鏡を見ながら、ヴァシリーはミルの長髪姿を見たいと密かに思っている。


 司書


 「今日も神の祝福が皆にありますように」

 身支度を整え、姿見の前に立ちおかしなところが無いかチェックする。
 何事も無ければ、胸元のロザリオを握りしめて静かに祈りを捧げる。

 (今日も誰かの助けになれるよう、頑張るとしましょう)



 人一倍献身的な司書さんは毎日、姿見の前に立って神様に祈りを捧げる。誰かを想い、働くその姿に騎士たちは司書さんのことを「先生」と呼び慕っている。


 スピカ、ルカ


 早朝、訓練場で鉢合わせた二人は手合わせをした後、顔を洗いに洗い場へ向かう。
 そこに備え付けられた鏡を見て、スピカは自身の右頰に触れた。僅かに切れていたからである。

 「……切れてる」

 「何処か怪我でもしていたか?」

 「あ、ううん。大丈夫。ほんの少しだけだから」

 やんわりと断るスピカに構わず、ルカはその顔を覗き込んだ。そして、スピカの右頬の傷を確認した後、持っていたタオルでそっと押さえる。

 「無いよりマシだろ?少し抑えておくんだ」

 「ありがとう……?」

 「何で疑問系なんだ?」

 「その……ここまでしなくても」

 戸惑うスピカにルカは明るい笑顔を浮かべた。

 「念の為ってやつだ。とにかく、戻ったら手当しておけよ。また後でな」

 「うん」

 ルカは立ち去った後、スピカは再度鏡を見る。そこには戸惑いと嬉しさの入り混じった顔をする自分が映っていた。


 スピカはミルと同い年だが、感情表現がやや苦手。世間的に疎いところもあり、ルカはそんなスピカを日頃から気にかけている。
 それぞれの日常のちょっとした小話でした。

5/29/2025, 11:51:25 PM



 曖昧な(再投稿)


 生活棟の屋根に腰掛け、俺とミルは教会裏にある墓地を見下ろしていた。そこではちょうど葬式が行われている。町娘が流行病で命を落としたらしい。両親や恋人、友人たちが彼女の死を嘆きながら、白い薔薇を献花していく。

 「可哀想に……」

 隣にいる彼女をそっと見る。彼女は首から下げたロザリオをそっと握り締め、目を閉じた。召された町娘の安息を祈っているのだ。

 「………ミル」

 「何?」

 「彼女はまだ幸せだったのかも。何者にも脅かされることなく、家族とお別れをしてから眠りにつくことが出来たから。……俺たちはそうじゃないでしょ?」

 俺の言葉にミルはそっと目を伏せ、少し考え込むような素振りを見せる。

 「……そうね。私たちの身の上では常に死が隣り合わせ。いつ死ぬか分からない。それが敵陣の真っ只中で、彼女みたいにお別れすら出来ないかもしれない」

 「もし、そうなったら……」

 込み上げてくる苦しみを押さえたくて、俺は無意識に自身の胸を強く掴んでいた。

 「どうしようもなく、悲しい」

 「私もだよ。でも、それが私たちの責務なの」

 彼女の言葉は至極真っ当だ。なのに、その言葉が今はまるでナイフのようで、どうしようもなく痛くて、苦しかった。
 俺は胸中の苦しみを吐き出すように深く息を吐く。分かっているんだ。それでも、彼女だけは。

 「分かっているよ……でも、ミル。約束して?」

 「?」

 俺は小指を差し出す。

 「俺の前からいなくなったりしないって」

 「………」

 彼女は面食らったように目を見開いていた。それから、可笑しそうにくすっと笑みをこぼす。

 「まるで、幼い子供みたいね。スピカ」

 「……でも、嫌なんだ。ミルは俺にとって大事な友達だから。いなくなるのは嫌なんだ」

 「それは私も同じだよ。……永遠に。とまでは出来ないけど、約束するよ。君の前からいなくなったりしない」

 彼女の小指がするりと絡まって、ゆっくりと手が上下する。そうして指が離れた。

 「絶対が無い、曖昧な約束だけど。私は守るよ」

 「俺も。守るよ、約束を」


 永遠なんて存在しない。

 いつか俺たちも死を迎える。

 その結末がどんなものかは誰も分からないけど、曖昧な約束をするくらいなら、神様も許してくれるよね?

5/27/2025, 10:22:04 PM



 夜の散歩(再投稿)


 「来い」

 夜半過ぎ、遅くまで書類を読み込んでいた私の下へ来たのはヴァシリーだった。彼は一言だけそう言うと、私に向かって手を差し出す。
 断る理由が無いから、その手を取った。彼はぐいっと腕を引っ張って私を抱きかかえると、そのまま部屋の窓から外へ出た。
 季節は夏から秋へ。変わり目ということもあってか、夜は冷え込むようになった。それを配慮してからか彼は私を抱えた時、部屋にあった毛布を引っ掴んで私ごと包む。

 「何も無いか?」

 「大丈夫。ありがとう」

 「今日は新月らしい。何も見えないが、それはそれで楽しいだろう?」

 「ふふ。うん、とても」

 生活棟の屋根から屋根へ。空を飛ぶようにヴァシリーは走っていく。時折感じる浮遊感が心地よくて、私は終始にこにこ笑っていた。

 「楽しそうだな」

 「そう?」

 「笑っているのが見えるからな」

 「そういえば、夜目が効くんだった」

 そうして、地面に降り立ち歩き始める。生活棟を抜け出して、街へ出る。いつもなら賑わう街はしんと静まりかえっていて、別世界に来たような気さえする。

 「……静かね」

 「そうだな」

 「何だかあの時を思い出すわ」

 「出会った時の話か?」

 「ええ。こんな風に暗くて、誰もいなくなってしまって。……あの時はすごく、怖かった」

 「………それは、今もか?」

 顔をあげると、ヴァシリーは静かにこちらを見ていた。しかし、気遣うようなその視線は何処か子供のように幼く感じる。
 彼なりに案じてくれているのかもしれないと思い、私は笑う。

 「大丈夫。今は、怖くないよ」

 「そうか。……俺は、お前の苦しみが分からない。知ることも出来ない。悲しみも何もかも」

 「そうね」

 「だが、こうして居場所になることは出来る。お前が望むなら、俺の隣がお前の帰る居場所だ」

 「!」

 「不思議なことだが、お前が少しでも見えなくなるとどうしているのかと考える。次は何を教えようか、何をして遊ぶか、そんなことを考えている」

 「………」

 あのヴァシリーが他人のことを考えている。そのことにただ驚いて、目をぱちくりとさせていると、不機嫌そうに彼が睨む。

 「何だ、その顔は」

 「あなたが誰かのことを考えるのって、珍しいって……」

 「失礼な娘だ。教え子のことくらい考える師は幾らでもいる」

 「それでもあなたほど気まぐれな師はいないわ」

 「お前のように豪胆な教え子もおらんな」

 そうしてまた彼は歩き出す。
 気の向くままに、飽きるまで、この暗がりの中で。
 私たちは散歩をする。

 きっと、彼が飽きる頃には私は夢の中だろう。

3/28/2025, 10:48:54 AM



 友人たちの談話(再投稿)


 その扉を開けると、ふわりとセイロンティーの香りがした。先生は突然の来客に一瞬目を丸くしたもの、すぐに柔和な微笑みを浮かべる。

 「おや、珍しい。貴方が来ることもあるのですね」

 「……」

 「一人だけのアフターヌーンティーも良いかと思いましたが……気が変わりました。あなたもご一緒にいかがです?」

 「じゃあ、お言葉に甘えて」

 先生はすぐにもう一つのカップを用意すると、そこに琥珀色の液体が注がれていく。ふわりと紅茶の香りが一段と濃くなり、俺は自然と頰が緩むのを感じた。

 「ミルクとレモン。どちらがお好きですか?」

 「そのままで、大丈夫。ありがとう」

 席に着いて香りを少し楽しんだ後口に含む。ほんの少し苦くて、渋いけど、美味しい。

 「いつもここには幹部とミルが来ることが多いので、彼らが好きなものを用意しているんですよ。スピカはこういうのお好きですか?」

 「好き。……あの子も好んでいるし」

 「ふふ。あなたは本当にミルのことが好きなんですね」

 「うん。俺はあまり感情が表に出ないし、お喋りも得意じゃない。けど、あの子は俺にいつも優しくて、たくさん色んなことを話してくれる。……あの子のためなら、何でもしてあげたいって思う」

 はっ、と俺は我に返る。あの子のことを熱弁して、途端に恥ずかしくなる。顔がほんの少し熱くなったのは差し出されたあたたかい紅茶のせいじゃない、と思う。
 俺の反応に先生はくすくすと笑った。

 「あの、えっと……」

 「いいんですよ。それだけあの子のことを大事に想っていることが分かりますから」

 「……先生は、あの人の友達、なんだよね?」

 「ヴァシリーのことですか?友達……というより、何でしょうか。相談役とかそういったものの方が近いですね。あちらは私のことを友人、とかそんな優しいことを思っていないでしょう。自分には持っていない知識を持っている知恵者、みたいなもの。何せ、彼の性格はあなたもよくご存知でしょう?」

 「……うん。でも、俺の目から見て、あなたたちも俺たちと同じだと思う。だって、色んなことをあの人は貴方に聞いている。それは仕事のことだけじゃないって」

 「……ミルのことですか?」

 「うん。相談役っていうなら、自身の教え子のこと、教えたりしない。何かあっても私情を持ち込んだりしないと思う。俺ならきっとそうする」

 先生は少し考え込むように目を伏せる。そして、ふと可笑しいとでもいうように小さく笑った。

 「……不思議ですね。相談役、そう思うことで自分を納得させていたのに。あなたにそう言われて、嬉しいと思っている私がいます」

 「それで、いいと思う。あの人は確かに気まぐれだけれど、大切にしたい人ほど、多分不器用になる。ミルが落ち込んだ時どうしたら良いかわからない、とか、あなたと話す為には仕事の話じゃないと、みたいな口実が無いと出来ないとか」

 「……存外、私たちの友人たちは純粋すぎて不器用みたいですね」

 「俺もそう思う。だから、守ってあげたいって、力になりたいって感じるのかも」

 「違いありませんね」

 俺は一口紅茶を飲む。けど、それはすっかり冷めて苦くなっていて、思わず眉を顰めると先生は苦笑して「淹れ直しますね」と席を立った。

 お喋りに集中し過ぎた、と反省する味だった。

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